- 2008-07-16 (水) 3:01
- Diary
大学辞めて頭を使わなくなったせいか、岸博幸氏の間違いだらけの経済学 – 池田信夫 blog が何を言ってるのかわかんなかったので、久しぶりミクロの教科書を広げながら読んでみたら、至極普通のことを言っていることがわかりなぜか感動した。けれどなぜかしっくりこない。
大学に入るまでは、経済学はとても有用な学問なハズだと思っていたが、いざ学ぶとこれほど無力な学問もないなと感じた。というのも、理論は精緻だけど、結局は現実から乖離した経済人間を前提にしているからだ。竹中平蔵先生みたいなナイーブな理論を、実際の政治で用いるなんて、僕だったら怖い。需要だの供給だの弾力性だの限界費用だの言ってみても、結局は前提があやふやで世の中を説明するには非力すぎる。ましてや、それを使って政策を行うなんて、間違ったらどれだけの犠牲を出すことになるんだろう。(※1)
だから、肝心な理論はほうっておいて、どっちかというと経済学史、経済思想史なんかに興味があった。昔から現在の思想を並べていると、やはり少しは進歩しているのを実感できたし、それぞれの偉人の考えに触れるのは知的刺激があった。
話がそれた。
世の中の仕組みを記述する(近代|主流派)経済学は、非力なのに妙に難しい。うまくいえないけど、経済学は物理や数学をまねて理論を構築しているが、物理・数学とは違う異質な難しさがある。いい例が前述の池田先生のエントリー。経済学知識・用語は学部2回生レベルだけど、それさえも偉い人(槍玉に挙げられている岸先生)が使い間違ってるってのはどういうことなんだろう。そこんとこがすごく気になった。
また話がそれるようでそれない感じで。
最近、ちょっとまじめに本を読んでるんだけど、モノとコトバは必ずしも対にはなっていないそうだ。パンは必ずしもパンをさしているとは限らない。
モノとそれに対する個人個人の持つイメージの集合、そしてその集合したイメージと個人の持つコトバとのマッチング、そんな運動が常に行われているようだ。なんだかオイシそうなのを見て、そのイメージを作り、それがみんなの持つパンのイメージと適合するのを感じ取り、パンはパンと呼ぶらしいことを学び、パンをパンと呼んでみたらみんなに通じたみたいな。あぁ、書いてて意味不明だw
何がいいたいかというと、まだまだみんな経済に関する見方のコンセンサスができておらず、好き勝手に一部分を捕まえて、それらしい用語で呼んでるっぽいってこと。みんな、カステラやチーズケーキをイメージしながら、パンについてしゃべってると思っている。
違う風に表現すれば、教室ではきちんと象を学ぶのに、いざ社会という全体の見えない象を目にするとみんな目暗になっちゃって、「ざらざらだぞ」「いや、かてぇ」「なんか濡れててべたべただ」「毛っぽい」と好き勝手に言い出す感じ。(どこかで聞いたたとえだ!)
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なんか最近、すごく勉強しなおしたくなってきた。自分に言葉が足りないのがムカつく。でも、言葉であわらせないものは理解しようがないっぽいというのが分かってきただけで昔よりはマシかも。いろんな言葉を知れば、それを手がかりに何かを掴める。だから、「Knowledge is power」なんだ。
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※1)小泉さんがすげーなーと思うのは、そういうことを百も承知でヘイゾーを道具として使ったってコトだ。改革がしたかったときに、たまたま都合のいいことを言う大学のセンセイがいたから引っ張ってきて好きにしゃべらせた。その間に自分は目的を達成…だなんてホント政治家じゃないですか!

