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経済学の新しい神通力

Economie Globale

経済学は科学だ。科学とは、あるインプットに対して必ずきまったアウトプットを得られる事象を研究して、そのブラックボックス、「法則」を明らかにする学問だ。

中世の中頃までは、体系のある経済学は存在しなかった。
なぜなら、偶発的な取引、その場限りの交換、気まぐれに供給される品物(≠商品)、どれも散発的でそれぞれが一度きりで、決まった「法則」を見いだせなかったからだ。

ところが、産業革命がおこると、大量の均質な商品が供給されるようになり、大衆がそれを求めるようになり、価格が社会ルールの一部となり、経済学は科学として扱うに足る学問になった。需要と供給、利子率、さまざまなパラメータで価格法則(の概略)を、数学や物理のやり方を援用して記述できるようになった。

けれど、すべてが経済学で記述できるわけではない。骨董品がいい例だ。需要と供給の法則はここでは成り立たない。その時々の売り手、買い手の気まぐれ、気分、持ち金、事情、そういうのが組み合わさってたまたま価格が決まるが、それは「経済学的な価格」ではない。その取り引きには、子供がビックリマンシール1枚とうまい棒5本を交換するぐらいの意味しかない(次回も必ず同じレートで交換されるだろうか?)。むしろ、産業革命時代以降でも、経済学で記述できる「経済」などというものはごく一部にすぎなかった。

経済学はそういう事象を少数のものとして意図的に無視してきた。そして、ホモ=エコノミクス、完全競争、収穫逓減の法則、その他もろもろの「前提条件」を編み出し、それを踏み台として緻密な理論を組み立ててきた。そして、その「前提条件」を少しずつはずしていくことで、真の「経済法則」に近づこうとしてきたのだ。

いま、経済学が行き詰っているらしい。それはきっと「法則」で片づけられる分野は、制覇尽くしたからでもあると思う。そして、経済学のターゲットが、今まで無視してきた、より細分化され、局所化された分野に移っていることも大きいと感じる。ターゲットとする事象が大きければ大きい程、個々のプレイヤーの特性は薄められて、容易に一般化できた。しかし、ターゲットを絞れば絞るほど、個々のプレイヤーの特質が際立ってしまい、一般化が容易ではない。経済学は、その神通力を失ってしまったのだろうか。

いや、そんなことはない。今のところ、そう経済学者は考えているようだ。

いま注目されているのが、個人の行動原理である心理学を援用したアプローチ。これまでの物理・数学的手法にとらわれない、この新しい経済学は「行動経済学」と呼ばれているらしい。

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「行動経済学」は、いまの主流派経済学を置き換える存在になるのだろうか。それとも、足りない部分を補う学問になるのだろうか。後者ならば、20世紀にミクロ・マクロの融合が叫ばれたように、再び二つの考えの消化方法を巡って争うことになるのだろうか。

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