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経済学は現実に役立てるには大げさすぎる。

「完全競争の経済学」が夢想にすぎないのは、経済学者が一番よく知っている。
だから、「経済学的な馬は餓死する」というジョークも生まれる。
かつての経済学においては、「理論」に合致する「現実」を探すのも大きな目的の一つだったが、そんなのは見つかったためしがない。っていうか、多分ない。

価格は偶然で決まる – 酔狂人の異説

価格は偶然で決まると言っていい。

もっと極論すれば、価格はあやふやなルールのようなもので、「決まる」ことすらないとさえいえる。経済法則(価格決定のメカニズム)をもっとも理想的にあらわしたと考えられる株式市場や通貨市場でさえも、売値と買値があり、一物一価が成り立たず、わずかながら裁定のチャンスもある。だから、

「双方の関係性から、必然的に一意に決定されてしまうものだ。」というのは経済学的なジョークなのです。(経済学者が常人とちょっとズレている点についての弁解 – www.be-styles.jp

でも、それでも経済法則をモデル化しないことには、なにも世界を記述できない。そしてそれをしたのが経済学であり、経済学の意義だと思う。

だから、現実世界にあてはめるツールとして学ぶなら(どぎつく言うなら「お金を儲けたいならば」)、マーケティング(経営学)でも勉強しておいた方がよっぽどよくて、「完全競争」も「収穫逓減」もクソもない。でも、物事を把握するには、事実から経験則を導く機能的側面と、理論から現実を描く演繹的側面が必要なので、結局はどちらも大切なのです。

経営と貨幣価値についての極論/例えば燃料高で苦しむ漁師さん – 起業ポルノ

例えば、原油高で苦しむ漁業関係者。魚という財は競り市で価格が決まるから、原価を転嫁した価格設定ができず漁師さん達は困っていて、極めて完全競争に近い状態にあると思う。… ただ、ここで漁師さんと漁船という生産資源を持った個人経営者(漁師さん)は、例えば民宿と提携して「夏休み漁師体験ツアー」みたいなものを企画して、親子連れを載せて燃料をあまり使わない沿岸で漁業体験をして、獲れた魚をその場で食べれたり、おみやげに持ってかえれるような商売をはじめるとしてみよう。 …もちろん対価を頂くんだけど、その価格設定は原価以上に設定できる。…日本中でこれを何年も続ければ、じわじわと魚の需要も増えて、値段も上がるかもしれない。

燃料高騰で困ってる漁師さんはこの方法で救えるかもしれないのでやる価値はあると思う。このアプローチは生産者と顧客を近づけて心理的な共感・連帯感を強めようというやり方(※1)で、すでに取り組んでいる分野もある(体験農業とか…)。でも、それは(主流派)経済学で切り出せる分野じゃないので、安易に経済学的な用語で切らないほうがいいと思う。(ちなみに、競り市は全然完全競争じゃない)

経済学に喫緊の課題を解決させようとすると多分裏切られるんじゃないかな。

そういう意味では、経済学は「科学」というか、「科学」の皮をかぶった「哲学」で、人々のつながりを数理的に解釈したり、心理学的に切ってみたり、時に組織論でひっくるめたりして、人間の理解の枠組みを少しずつ広げていく活動なのだと思います。(※2)

だから、経済理論を安易に現実にあてはめている人は、信用できない||ただのジョーク||ひとつのモノの見方を指示した…などと思った方がいいと思いますデス。

※1: 中世ではそれが当たり前でした。近代の産業革命が、需要と供給を肥大化させ、価格が人々を分断したので、経済学者はそれを一般化して研究できたのです。現在では、商品の細分化、嗜好の多様化に、それをつなぎ合わせる情報技術の発展などよって、ふたたび一般化したモデルではフォローできない事例が多くなってきています。それが新しい経済学も生み出していると言えないでしょうか。よくわからんけど。

※2: ギリシャ哲学者が経済に関しても深い洞察を残したのは、この点では偶然じゃないと僕は感じています。また、各時代の経済理論が、各時代の思想を色濃く反映していることも面白いかも。

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