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どうでもいい著作権に関するノート – アルデンテよりちょっと柔らかく

労働価値説を完成させたのは、カール・マルクスだ。
マルクスはモノの価値を労働に求めた。 価値=固定費用+労働価値 ここで搾取だのどうだの、労働の使用価値がどうだのという話はおいといて、要はモノの価値を費用の点から説明したことに注意してほしい。

それを否定したのが、近代経済学の祖(の内の一人)カール・メンガーだ。
メンガーはモノの価値を交換に求めた。
いくら費用をかけて造ろうが、商品は買われてこそ、買われた瞬間にのみ、価値を発生させる。要は需要と供給が一致して交換が成り立って初めて価値を持つ。
このとき、モノの価値は、それ1つが手に入った時、それ1つを失った時の効用で計られる。これが限界効用の理論だ。現代経済学では、マルクスは省みられず、メンガーの理論を受け継いで発展させたものが主流だ。

これはこれで正しいと思うんだけど、「~である」≒「~であるべきだ」「レッセ=フェール(なすがままにせよ)」がそのまま社会に適応されてしまうと大変だ。たとえば、仕事ができないハンディキャップを負った人の賃金は、当の本人が餓死しようがなにしようが限りなく0に近づくだろう(いらねーから)。平和な時には大事にしていた世界遺産も、戦争ともなればあっさり爆破されたりするかもしれない(いらねーから)。そこで経済に政治が介入する必要があるわけだ。

著作権もしかり。
デジタルデータ化してしまえば、著作物の価値は0になる。無限にコスト0で供給(コピー)されるなら、需給の均衡点である価格は0に限りなく近い(0円でも100円でも手に入るならみんな0円で手に入れる)。これでは困る人たちがいるから、政治的に解決しているわけだ。つまり、法律で権利を定め、本来払わなくていいものに金を払うように強いている。

一方、著作物を消費する側も、著作権は大事なものだというコンセンサスを持っているので、仕方なく一人一人が代償を払って、著作物の権利を尊重している。(これがない中国ではどうなっているのかを見ればよい。著作物が手間賃程度の値段で売り捨てられている。)

つまり、民主主義体制の下では、以下のような点が重要だ。
①著作権を守るべきというコンセンサスが成立している
②本来支払わなくても済むコストを、社会全体が支払って著作権を守っている

だから、僕は社会の同意の枠組みを超えた著作権保護は良くないと思う。
けれど、社会全体がコストを支払っているのだから、著作権者はそれに甘えてはいけない。著作権自体は経済学的な"自然状態"から逸脱して、すでに特別みんなに守られているモノだということを自覚したほうがいいと思う。甘えすぎると、逆にコンセンサスに同意することのコストが高まって(著作権を認めることが明らかな損になったり、守ること自体が馬鹿らしく思えてきて)、コンセンサス自体が崩壊するだろう。

今の著作権が経済学的に好ましくないとしても、維持するのはナシではない。でも、著作権にぬくぬくしてたら、しっぺ返しがくるんじゃねーの?とは思う。著作権の延長とか、B-CAS問題とか見るにつけ、あんまり調子に乗って著作権者が自爆しないか心配。もっと周りの同意を得て、持続可能な著作権を目指すべきなんじゃないかな。

ま、そういう話がすんなり通じるなら、誰も苦労しないんだけど。

PS: マルクスは間違えたかもしれないけど、たくさんのことを残してくれたと思う。
近代経済学は一番正しそうなモデルに過ぎず、それが切り捨ててきたものにもたくさんの意味が残っている。僕が大学時代もっとも覚えているのは、実は重商主義経済学の講義だった。生産からモノを見るか、流通からモノを見るか、需要サイドか、供給サイドか、経済にはさまざまな視点があり、それに応じたさまざまな経済学があるというのを知らされたからだ。主流派としては力不足だけど、時折見返してみると意外な発見があるものだ。

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