経済学者は、貨幣(や経済構造)を仮初のもの"ヴェール"として捕らえるという思考方法に慣れている。これは別に、ヴェールであるべきだ、というのではなく、現在の"経済"が比較的若く、現実世界においては新参なので、「とりあえず仮に構築した制度にすぎない」という自覚があるのだろう。いくらでも代替制度はあるはずなのである。
その目で"権利"を見直してみると、以下のように見える。
著作権にしても労働基本権にしても、本質的には定型的な契約にすぎず、絶対不可侵の自然権ではない。それは法律として絶対化されれば国家によって強制されるが、本源的にはバークもいうように慣習によって形成されるものだから、実態にあっていなければ変更するのが当然だ。規制強化や権利のインフレによる官製不況を逆転させるには、まず人権という迷信から覚めることが必要だろう。
とりあえず、話のはじめとして図を用意した。実際の世界の要請を満たすようにルールが整備された、すべてが調和した理想的な社会を示す幼稚な図である。
暗黙的ルールとは、実際の世界の必要から生まれたが、いまだ明文化されていないルール。日本人が大好きな「空気」も含まれるし、エスカレーターのどちら側に並ぶか、社会的に妥当だとみなされているカップラーメンの値段、などなどがこれにはいる。
明示的ルールは、暗黙的ルールをもとに明文化されたルールを指している。ハンムラビ王や鄭の子産が誕生するまでは存在しなかったレイヤーだが、すでに3,000年の歴史がある。主に法令をさすが、それに依拠する政治体制なども含めていいかもしれない。
(裁判所が日々生み出す判例はどうだろうか。まぁ、とりあえず、両ルールは明示的に分けられないが性質が異なるため、便宜上2種類あると提示だけしておく。)
このすべてが調和した、理想的社会は空想的なものであって、ほとんど成り立ったためしがない。
現実世界(R)が R’ へと変化すると、暗黙的ルール(I)も I’ へと追随するが、完全にはカバーし切れない。明示的ルールEにいたっては、それ自体がそれ自身で完結された(それぞれの構成要素が矛盾がないように組み合わされた)巨大な構築物であるが故、Rの変化にはほとんど追随できない。
また、明示的ルールEはそれ自身で再生産を行う。まず、なまじ文字で確認できるゆえ、その表面的な意味を捉えた拡張が行われる。つぎになぜか、一部の専門家しか把握できないほどに階層化・複雑化するのが常だ。ときには、現実世界Rをまったく考慮しない、"EのためのE"が生産される。
最後にはどうなるかというと、みんなが我慢できなくなり暴力的にEが打ち破られるのである。(それを未然にガス抜きして防ぐ仕組みが、自由主義+民主主義の組み合わせだと思う。うまく機能せず爆発している例も多いけど。)
たとえば、原始宗教を思い浮かべてみよう。最初は生活環境に密着した(過酷な砂漠、幻想的なオーロラ、美しい海と起伏に富んだ山)生活ルール、その起源を説明する美しい神話が語られる。つぎに、それを語り継ぐ人、儀式を行う専門職、経典などが整備される。最後に次第にそれらが複雑になり特権階級化するが、末端では生活が移り変わるにつれて無意味なものに思われるようになり、次第に信仰されなくなる。
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「規制強化や権利のインフレによる官製不況を逆転させるには、まず人権という迷信から覚めることが必要だろう。」
人権が迷信かどうかはよく分からない。長期間強烈に支持されたルールには、それなりの妥当性もある。世の中がいかに変わろうとも、絶対変わらない、現実世界のコアみたいなものが存在し、そういうものに依拠した基本的な原則…というものがあるかもしれない。3,000年もの(基本的人権に関しては200年ほどだっけか)伝統があれば、それ自体に価値を見出し、守ろうとする人も多いだろう。
けれど、仮にコアとなる原則があったとしても、船体に付着したカキガラのように、本来不要な付則がまとわりつき、それがゆえに法制度の機動性が損なわれているのではないか?という疑いは常に持つべきだと思う。
それが、"迷信から覚めること"なんじゃないかな。
— (以下、未整理) —
E→R へ影響を及ぼす「内部化」についても今度書いてみることにする。
適度にカキガラを落とさないと、現実世界の足かせになるだけでなく、現実世界そのものの創造力さえ奪ってしまう。
あと、
権利とは、定型的な契約のテンプレートを実在的な対象として表現することによって契約手続きを簡素化する技術である。これはプログラミングでいえば、特定の関数(契約)の集まりを標準化し、オブジェクト(権利)としてカプセル化するのと似ている。権利を法律として実装して変更不可能にすることは、契約を繰り返し利用可能にし、効率的に執行する上では便利だが、それ以上の意味はない。
ここは、モジュール化やデザインパターンとかを例に出したほうが分かりやすい…かな
繰り返すうちに当たり前のものとして前提化するのは内部化の話にもつながるけど。ヴェール観からいうと、"それ以上の意味はない"のだけど、それがそれ以上の力を持つようになることもある。繰り返すことを仕事にしている人などにとってみれば、それは単なる「繰り返し」ではない。意味を付加し、神聖化でもしないと、そんな仕事やってられないわけで。(この段落は蛇足。)
ルールを足かせと思うか、行動の基礎と捉えるか。
経済学部生と法学部生は結構仲が悪いと思うが、出発地点が結構違うのかもしれませんな。
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