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3つの延長

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道具による延長

「ホモ・ファーベル(homo faber)」ベルグソン

機能的延長。分かりやすい例えを挙げるならば、「マジックハンド」だろうか。この単純な道具は、"手を延長する"。普通は届かない、高いところ、狭いところのものを掴むことができる。

ところで、道具を使うのはヒトの専売特許ではない。しかし、道具で道具を作成する、つまり二次的道具の利用が可能なのはおそらくヒトだけだろう。二次的道具は三次的道具を生み、三次的道具が四次的道具を産む…といった道具の高度化は、18世紀に産業革命として結実した。

コミュニケーションによる延長

「ホモ・ロクエンス(homo loquens)」レヴィ=ストロース

世界の分節化。ホモ・ロクエンスとは「話すヒト」を意味するが、話すということは、単に音声を交し合う以上の意味がある。ある人の語る言葉は、僕の脳で咀嚼できる程度まで、世界を適度に切り裂いてくれる。僕ははじめ、おそらくリャマとアルパカを区別できなかっただろう。なんとなく違っているのは感じても、その違いを"分かる"ことはできなかっただろう。しかし、あれをリャマといい、これをアルパカと指し示されれば、そこで初めて区別が生じる。言語は、世界を把握させる。

(ちなみに、シッポが上がっているのがリャマで、シッポが下がっているのがアルパカ。荷物を運ぶのがリャマで、毛を刈るために飼うのがアルパカ。…なんだそうな)

知識の蓄積・共有。ルネッサンス期の万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチは、どうしても累乗の計算ができなかったそうだ。21世紀の今日なら、公文で鍛えられた子供なら小学校一年生でも易々と累乗を計算するだろう。

会話・伝承・文字・書物・インターネット。コミュニケーションは世界を把握し、知能を育て、知識を空間・時間的に蓄積してきた。そして、いつでもそれらにアクセスできるようにしてきた。

交換による延長

「ホモ・コムニカンス(homo Communicans)」今村仁司

交換による延長は、3つのうちで一番新しいだろう。

ロビンソン・クルーソーは、自分で作れるもの、採れるもの以上を手に入れることができない。けれど、島を脱出して、町に出れば、あのヒトが作ったソーセージやこのヒトが作った余所行きの服を手に入れることができる。お金さえあれば。

100円を持って八百屋に行けば、キャベツを買うことができる。けれどたまには、売り切れやお店が閉まっていて手に入れられないかもしれない。しかし、100円さえあれば大抵キャベツを手に入れられるとするなら、100円を持っていることはすなわち、庭でキャベツを作ることと大抵同じである。

この延長も、ほかの二つと同様に、物々交換、貨幣を媒介とした交換、貨幣商品と貨幣商品の交換と、それ自体が肥大化してきた。けれど、そのことに関しては、僕の興味の主題でもあるのでのんびり取り組むとする。

3つの延長=アクセシビリティの延長

3つは混合しあっており、いわば3本で一組の足になっている。
どれか一つでも欠けると、成長しない。

たとえば、中世の間の知識の蓄積がルネッサンスとして花開き、イギリスで産業革命を起こし、資本主義経済が世界を覆った。また、計算機の発達が、インターネットという巨大なコミュニケーション装置を産み、地球の裏の商品をマウス操作で買えるようにした。

しかし、その3本はどうも対等の関係には見えない。

現代では、道具は道具そのものではなく、「商品」として需要されている。トヨタの期間工は、自分ひとりでは乗り切れないほどのクルマを作り出している。ディーラーは店にありったけの車を並べて、お金が落ちるのをじっと待っている。

コミュニケーションといえば、こっちのほうも、近年、ますます交換世界に呑みこまれつつある様だ。いまや、カタカタと打ち込まれ送信されるテキスト、うわさやつぶやきまでが商売の種になっている。

けれど、コレまでのところ、3つの延長は僕たちのアクセシビリティを延長し続けてきた。そして、アクセシビリティの延長、これが「豊かさ」の正体なのである。

 

今日のところは、コレでお終い。

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