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ぐぐーる神は宇宙の果て以外には壁のない図書館を作る。

インターネット界をおさめる至高神・ぐぐーるが、日本の著作家ともめているらしい。

Googleとアメリカ作家組合のフェアユースと著作権をめぐる裁判が和解した結果、ベルヌ条約に参加している日本の著作権者たちも本年5月5日までの期限付きで、コピーライトにかかわる選択をしなければならないことになった。

Googleとの和解 (内田樹の研究室)

まぁ、わしにとっては関係のない話。だけど、ぐぐーる神と和解してくれる著作家のほうが、わしは好ましく思うだろう。だってやはり、

芸術や文化というものはカネのにおいがしない方が崇高である

ように感じるからだ。とかく芸術とカネは相性が悪い。芸術はオリジナルで・孤高で、それでいながらヒトを引き寄せて繋げる力があるけど、カネはすべてを飲み込んでのっぺらにし、それでいながらヒトの絆を断ち切ってしまうそんな力がある。

ぐぐーる神は良書も愚書もすべて飲み込んでしまうカネ的な力も持ちながら、芸術に惹かれるヒトを導く役割も同時に果たそうとしている。しかも、広告収入の63%をさりげなく後ろ手でツッコんでくれるわけで、においのないスマートな方法だと思うケド。

「著作の20%がレビュー目的でフリーに閲覧されてしまうこと」が嫌悪されているようだが、本の本質は読後感を楽しむために無駄な100%を苦痛に耐えて読み通すことにあると思うわしにとっては、そんなにたいした問題にも思えない。読み切るのが本を買う目的であって、20%ちら見するために本を買うわけではない(そういう本もないことはないだろうが)。

なーんでことを考えながら、わしは一つのエピソードを思い出していた。

それは、アルド・マヌンツィオというヴェネツィア人の話で、たぶん、高校時代に読んだ塩野七生さんの『イタリア遺聞』という本にあった話だと思う。

イタリア遺聞 (新潮文庫) イタリア遺聞 (新潮文庫)
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活版印刷を発明したのはドイツのグーテンブルグだが、その技術が伝わるや否や、ヴェネツィア共和国では出版業が大きく発展する。書物といえば羊皮紙だった時代の名残りで、印刷技術が使われるようになっても大型の豪華本があたり前だった時代に、今でいう「文庫本」、持ち歩き可能な手軽で経済的な本を考えだしたのが、アルド・マヌンツィオというヴェネツィア人だったのは、いまだにヴェネツィア人の自慢。

ときはルネッサンス全盛期。ギリシャ、ローマの古典から、新しい書物まで、特にローマ法王庁と一線を画していたから、法王のお膝元では発行禁止扱いの内容でも、ヴェネツィアに来れば出版できるというので、ヨーロッパ中のインテリが原稿を持って集まった、という。

もともと資源を持たないヴェネツィアにとって、書物という知的財産による産業は、うってつけの「町興し」だった。

ヴェネツィア ときどき イタリア

そう、そんな感じの話だった。
(このサイトが本書を引用しているわけではないが、まぁ、そんなスジの話)

当時の本は大きな革張りのハードカバーで、持ち歩くのには不便なばかりか、貧乏人にとっては所有すらおぼつかないものだったそうだ。それをコンパクトで廉価な"文庫本"として再販したのがアルドという人だったらしい。小さくても読みやすいイタリック体フォントを開発し、イルカと錨のトレードマークで、古典から当時の現代SF文学・ダンテの『新曲』まで、文庫にして売りまくった。かのルネッサンスの天才・エラスムスも彼のもとで古典の校正などしていたらしい。彼の事業は、読む人だけでなく、読む人を渇望する著作家にも支持された。

エピソードの内容はおぼろげにしか覚えてないけれど、彼の棺には花束のかわりに生前出版した文庫本が添えられたというエピソードにはちょっと感動した覚えがある。興味があったら、ちょっと本屋で手に取ってほしい。塩野さんなら立ち読みでも許してくれるかも。

アルドが文庫本を作って500年、世はインターネットの時代になったけれど、文庫本はまだ愛されている。その原因であり、文庫本の最大の功績は、本を富める者の書斎から解放したことだ。エラスムスは、アルドの文庫本をこう評したという。

「彼(プトレマイオス2世)の図書館は自家の狭い壁を以って囲まれていたが、アルドゥスは世界の果て以外には壁のない図書館を建てる」(※アルドゥスはアルドのラテン語名)

文庫本が世界に開いた"図書館"は、いま宇宙にまで解放されようとしている。欲しいと望むだけで、本にアクセスできる、"本が自然な"世界。そうなれば、本、というか、文学そのものというか、それがより一層愛されるのではないかとわしは思ったりもする。

じゃなくても、書籍の電子化・解放は、双方の利点を活かしあうかもしれない、と夢想することもある。電子データとしての書籍は、検索性に優れる。そして、インターネットならば "繋がり(Link)" の力も期待できる。それに引き替え、紙媒体は閲覧性に富み、なにより所有の喜びがある。それらがうまく複合すれば、たとえばー

すべての書籍は電子データとしてインターネットで公開されている。データはだれでも読めるし、ブログで引用してもいい。それどころか、本の一文に好き勝手に語り合うニコニコ動画の書籍版のようなサービスがあり、いろんな意見が交わされ、人々の想像力を日々書き立てている。
電子データは製本屋になったAmazonに注文すれば、思いどおりの製本に仕立てることも可能。お気に入りの作家は淡い青色の革、真面目な論文は茶色い厚紙製のハードカバーといった風にコレクションにしてみてはどうだろうか。著者がデザインしたお勧め装丁ならば、通常の半分以下の時間で納品可能なのでそっちもお勧めだ。そしてこれらのサービスであられた収益は、著作者にそっと寄付される…

こんな世界がいつか来るかもしれない。

そうしたら、自分で壮丁した本と無料の書籍データの間で、文庫本は役目を終えて消えてしまうだろう。でも、アルドさんなら結構満足してくれるんではないかなぁ、と想像してしまう。せっかく文庫にしたのに、またゴッツい本の時代に戻るなんて、と笑われたりしてね。本自体がなくなることもあるのかな?わしはないと思うけど。

 

[参考になるかもリンク]

気谷 誠 氏講演録「懐中のルネサンス」
http://yushodo.co.jp/pinus/62/Aldus/index.html

学術出版の祖アルド・マヌーツィオ
http://www.wul.waseda.ac.jp/PUBS/kiyou/52/pdf/11-yukijyou.pdf

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