経済・経済学という語は、ギリシャ語のオイコノミア(Oikonomia)、オイコノミクス(Oeconomicus)からきている。これは、オイコス(家)とノモス(法またはルール)を組み合わせた語で、家計を管理する方法、ひいては「共同体の在り方」を示すという。
エコノミクスって、ギリシャ語の『オイコノミクス』からきているんです。オイコノミクスとはどういう意味かといいますと、共同体のあり方、という意味なんです。経済学は、利己的な利益の追求を理論づけるだけの学問だと思っていた僕は、その言葉に少なからぬ感動さえ覚えてしまった。我々が、個人としてだけでなく、みんなでどのように生きたら皆で幸せになる事が出来るか?それを発端とする学問がオイコノミクス、つまり経済学の始まりだったのです。株も税も、世の中全体がうまくいく為に我々の祖先が考え出したことなのです。
個人のルールではなく、家・社会のあり方やルール、それが経済であり、それを研究するのが経済学ということらしい。ギリシャ語のキリスト教関係文献では、神が治める家のルール「摂理」としてもこの語句が使われる。父が稼いだ食べ物を子供たちに分け与えるように、神が民草に恵みを垂れたもう配分の計画というわけか。A・スミスの「神の見えざる手」という言葉もこれを踏まえているのかもしれない。
一方、東洋でいえばどうだろう。経済の語源が経世済民の略だというのはよく聞く話だ。
王通『文中子』礼楽篇(6世紀)
「皆有經濟之道、謂經世濟民」
日本では、江戸中期の儒学者荻生徂徠の高弟である太宰春台が著した『経済録』に出てくるのが始めだと言われている。
太宰春台『経済録』(1729)
「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」
これは今日でいう「政治経済」的な意味で、ちょっと今日の「経済」とは意味合いが違う。どこで「政治」的な意味が取れてしまったのだろう?
正司考祺『経済問答秘録』(19世紀前半)
「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」
明代ではすでに今的な意味で「経済」という語句が使われていたようだ。思い返せば、有効期限のない本格的な紙幣(中統鈔)が発行されたのは元代。金融の発達に従って「政治」と「経済」のバランスが大いに崩れてきた…のかもしれない。「経済」(≒自立的自生的秩序)がモンスター化し、「政治」(≒統治、管理)を飲み込んでしまったというか。「貨殖興利」こそが世の中を動かしているという、商人階級の自負みたいなものも読み取れる気がする。
結局、日本ではもっぱら「経済」とは「貨殖興利活動」で、明治以降中国などにも用語が逆輸入されて今の意味で定着したらしい。
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経済学は、社会科学だ。物理学が「自然科学の王」と言われるのと対比して、ときに「社会科学の女王」とさえいわれる。
自然科学、科学とは、おもに自然現象を観察して「~ならば~である」という理論を導き出す学問だ。つまり、「~ならば」というモデルに対して、「~である」が普遍的に再現可能であることを示す学問だ。
一方、社会科学は「~ならば~である」に加えて、「だから~であるべきだ」という規範や実際の政策を導き出すことを期待されている点が違う。取り返しがつかない、たった一回のことに対して、適切な指針を出すことが求められている。自然科学と決定的に違うのは、自己言及性が格段に高いということなのだ。だから、「~ならば~だ。だったら、どうすればいい?」「~どうあるべき?」ということが常に問われている。
経済学ではこの二面性が、一方を理論経済学、一方を制度派経済学が担ってきたように思う。前者はなるべく面倒くさい「価値基準」に触れないように純度の高いモデルを育て、後者が「それは現実的にありえない」「前提が非現実的だ」などとちゃちゃを入れるという構図だ。
また、この二面性は経済学で好んでよくつかわれる「冷めた頭脳と温かい心」という言葉にも表れているようにも思う。「冷めた頭脳」=科学としての経済学と、「温かい心」=社会にかかわる学問としての経済学という感じで。
もう一つ言えば、確率論でいうところの頻度主義とベイズ理論の違いなんかも思い起こさせる。全体を俯瞰して、「さいころを2つ転がした時の目は7になりやすいよ」とアドバイスする立場のと、実際に全財産をかけてゲームに挑む一人のギャンブラーの立場は違う。経済学者は、震える手にサイコロを載せながら、一生懸命理性的になろうとする哀れなギャンブラーに似ていないこともないと思う。
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うまくまとめる気がなくなった。
経済学には、科学的・理論的側面と、社会的・規範的側面がある。そして、後者は結構忘れ去られがちで、真剣に考えると結構難しい。
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