- 2009-05-20 (水) 23:58
- Diary
最近、実は眠れない。
Rails のコードなんか考えているからか? というと少し違って、1時には寝付くのだけど、結局5時にスズメの鳴き声を聞くといった感じ。しかも、朝起きたときの腹痛も耐えがたく、時には家を出たものの駅につくや否やトイレへ…といったことも。
そんなのが続いていたおかげで、今日は会社に着く前からかなーりココロのなかがドロドロとしていた。そうなると、何もかもが気に入らない。自分が遅刻したことは棚に上げて、自分抜きで会議が始まっているのもムカつく。いや、言うな。自分が悪いのは分かっている。
今日はそれに加え、記事の誤りの指摘があった。「敷居が高い」は誤用だという。聞いた瞬間「しまった…」と思ったが、ココロがドロドロだったので、「慣用的に使われているから間違いではない」と強弁。わざわざ社会の流れに竿を差す気はないので、日ごろならばすんなり直すのだけど、今日はそんな気にはまったくなれなかった。
すると「そんなことにこだわる意味が分からない」と言われる。そんなの百も承知。ここで一瞬「謝って直すか…」と思ったのだけど、記事もロクに書けない屁たれが(今日はブラックモードなので敢えてそういう)嵩にかかって「記事とブログは違うんですから」とかのたまう。記事も書けないヒトに、記事について講釈たれられるのは個人的には苦痛だ。ましてや、誰かの意見に乗っかってしか自分の意見を言えないヒトには黙っていて欲しい。僕は意見を聞くべき(聞くに値する)人間を選ぶ。そこまでぶっちゃけようとしたが、かろうじて思いとどまった自分だけはほめてやりたい。
先輩は「記事訂正ってイヤだよな」と助け舟をくれたけど、正直言うとそういうことでもなかった(おかげで、踏みとどまれた気もするので感謝なのだけど)。
というのも、(ブラックな状態の)僕は、僕の与り知らないところで正しいことが決められて、それを守らなければならないというシチュエーションが大っ嫌いなのだ。
本当は、憲法・法律だって守りたくない。生まれてこの方、あんなものに同意した覚えはない。ルソーなんて大ペテン師だ。ましてや、言葉の意味なんて時代によって正反対にすら変わるもので、何を基準に正しいとし、何の謂れがあって強制するのか。個人的には「足元を掬われる」も「情けは人のためならず(だから、要らん情は施すな)」も全然アリ(原文ママ)だと思う。日本人の大半が間違っていることに対して、うだうだ言ってどうなるのか。語源を考えれば、指摘の通りなんだけどね!でも、そんなときは勝手に"正しい"用法に脳内変換して読めばよろしい。自分だけ守っていればいい。
とはいえ、それが社会的には通用しないことぐらい知っている。まぁ、どんな理論を援用してもいいけど…一般的に大きな組織・影響力の大きな組織ほど、社会的責任を求められる傾向にある。たとえば、町工場の帳簿がぐちゃぐちゃでもせいぜい税務署に注意される程度だが、大企業ともなれば社会的非難を浴び莫大な追徴金をとられる。それだけ、その組織に依存した組織が多く、それらが大組織に「公共性」を求めるからだ。そして、大組織自身も、小組織のネットワークに支えられている以上、それにこたえる責任もある。蔑ろにすれば、ある臨界点を境にあっけなくその地位を失ってしまう。
つまり、僕は明日訂正記事を考える責任がある(そういう組織の一員だから)。んなことは、すでに知っている。そして、ソクラテスだか誰かによれば、「正しいことを知っているヒトは正しいことをする」らしい。なので、たぶん僕は明日正しい行動をするだろう。納得はしないけれど。いつもは、そういうことを自然にできるのだけど、今日は無理だった。
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と、つらつら書いたのには、訳があって。
冒頭の眠れない話に戻るのだ。
僕は適応性抜群で、5割・6割・7割までは結構簡単にマスターする。
でも、そこから先を積んでいく根気が決定的に欠けている。7割から8割へ完成度を高めるために必要な労力は、0から7割まで引き上げる労力に匹敵する。完成度を高めるためには、等比級数的な追加労力が必要だ。それに耐えられない。
今は、細部は結構適当な記事をかいて、赤を入れてもらうのに頼っているところがある。けれど、いつまでもそうはやっていられないわけで、自分でも完成度を高めなければならない。自分の文の細部まで目を凝らして、鬱陶しい編集規則を守って、媒体の体裁や世の中の空気を読んで、精密な文章を練り上げていかなければならない。
でもさ、だったらその労力で他の職場でいろんな経験ができるのではないか、とも思う(限界収益の高い分野と言うかね!)。
なんていうかね、他人にすれば分からないだろうけど、自分にとっては結構人生の岐路みたいなものでもある。覚悟を決めて、あと数年は毎日同じことをするのか?
7割までマスターするコツは、仕事のやり方を覚えるのではなく、仕事のやり方がうまくいくやり方を考えることにある。そして、そこから先に「王道」なんてない。じゃぁ、あと数年、そんな地味な道を歩むのか?
このまま歩んでいってもいい。けれど、まぁ、お給料は期待できないわけで。お給料がすべてじゃないけど、その給料ならほかにも楽しいことはありそうだとか、本当に自分にあった職があるかもしれないとか、思ったりするわけですよ。
先のこと考えると気が重いけど、それから目をそらして下だけ見て歩くのも憂鬱。
なので、今日は帰りしなに一杯引っかけてきた。酒うめー。
ついでに、明日は許可を得て重役出勤することにした(その分、頑張って記事は書いておいた)。
寝れないというのなら、飲んで飲んで飲んで、瞼が重力に耐えられなくなるまで起きてやるwww
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