Home > ぽえむ > ホモ=エコノミクスを超えて

ホモ=エコノミクスを超えて

[書評] 僕が2ちゃんねるを捨てた理由 : ロケスタ社長日記 が少し面白かった。

ひろゆきさんのおもしろさは、とことん合理的というところ。この本で言っていることも、実は彼個人的な意見というものはあまりなくて「こう考えるとこうですよね。だからこうなんじゃないですか」というものが多い。

ひろゆきさんのスゴイところでもあるし、人から怖がられる理由でもある気がします。そこを徹底して一貫性があるのがおもしろい。

わしはあまり2chしないし、ひろゆきの一挙手一投足まで追いかけるほど暇じゃないし、『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』にも興味がないから本も買わないと思う。でも、こういう「合理的」なところは結構好きだし、共感が持てる。

でも、だ。

論理的に考えた場合、目の前に倒れている老人と、「こっちに来たら1000円をあげる」と言っているおじさんの2人がいたら、お金のことを考えれば1000円をくれるおじさんに寄っていくべきだと思うのです。しかし、そこに心情的なものが入ると老人を助けるほうに人は向かいます。

一般的には、老人を助けるほうがいいことであるのに、老人を助ける構造になっていない。その場合、老人を助けると1000円もらえるという法律を作ればいいのです。すると、みんな喜んで老人を助けにいくはず。そうすれば、論理的にも心情的にもすっきりします。これは「システムとしてはこの方法がベターである」というだけです。もちろん、この場合、人を助けることにお金がカラムこと自体、いかんともしがたいという論理が今度はでてきますけど・・・。

システム的な解決がベターだという点には同意する。実際のところ、正解のない正義やら規範やらを論じて各個人に強制するより、インセンティブを的確に設計する(ここでは"老人を助ける構造"を達成するために法律を作る)ほうが手軽でいい。とても経済学チックな考え方だ。そして、その根本として、"論理的に考える"(経済学チックに言えば、"合理的に考える"だよね)ひろゆき氏の態度があるわけだ。つまり、ひろゆきの痛快さは、彼がホモ=エコノミクスに徹しているという点にあると思う(別に守銭奴という意味ではないよ?合理的経済人というやつのことを言っている)。

でも、その"論理的な考え"には重大な穴がある。社会性が欠けているのだ。

社会で生きている場合、自分の判断がどのように評価されるかは重要なファクターになる。この場合、"1000円をくれるおじさんに寄っていくべき"という論理的な判断がどのように周りに評価され、あとあとどのような結果を生むかということに対する論理的判断、つまり、

論理的判断の論理的判断=メタ論理的判断がない。

真の論理的判断を行うならば、必ずしも"1000円をくれるおじさんに寄っていくべき"という意見は近視眼的すぎる。そういう状況が何度も起こりうるならば、あちこちで起こりうるならば、"気まぐれで3回に1回は無償でおじさんを助ける"という判断も、多分に論理的といえるはず。めぐりめぐって自分のためになるかもしれないし、自分がおじさんになったとき、法律も1,000円出す出す必要もなしに助けてもらえるほうがよっぽど気持ちがいい。人間はメタ判断すら可能な合理的人間だから、わざわざナッシュ均衡で満足はしない。

この意味で、既存の道徳や規範、常識というものは案外、長期的な判断やメタ論理判断を含んだ意味での合理的判断に基づいている(所詮それは過去のある特殊な状況におけるものであるのには注意)。必ずしもないがしろにすべきものでもない。ひろゆきは結局、ちょっと合理的だけど、本当に合理的では決してない。

けれど、その一方で、一般ピープルという人種がいる。

既存の道徳に従う人≒一般ピープルは、ひろゆきと違い、道徳それ自身に疑問を持たずに、そのまま受け入れている。そして、道徳(や常識)という服を着るだけでメタ倫理的判断に基づいた経験則を身につけたつもりになるだけでなく、それを身につけない人を理由も分からずに批判したり、抑圧したり、村八分にさえする。自分たちよりよっぽど頭を使っている人を捕まえて、常識もわきまえないバカだと言ってみたりする。

そして、ここからは僕の想像になるのだけど…

ひろゆきが醸し出す"世の中ナメてる感"は、こういった道徳や常識の衣を身にまとって満足した一般ピープルへの軽蔑の現われではないか。形骸化したメタ合理的判断の信奉者への批判なんじゃないかな。

確かに、既存の規範を身につければ間違いにはあいにくいけれど、一方で創造することもない。周りはどんどん変わっていくのに、重い甲羅を背負う亀のように鈍重で、最後はおいしい生身だけを啄ばまれるのがオチだ。それを容赦なく指摘してアバいて嘲笑してしまうひろゆきは、一般ピープルからしたら「怖がられる」に十分値する。賢く生きているつもりが実は滑稽なだけなのが明らかにされてしまうんだもの。

まぁ、でも、僕は、素っ裸で踊るだけじゃなくて、服を着るときと素っ裸になるときをよくわきまえたほうがいいんじゃないかな、と思う。なにも考えない一般ピープルからは脱しているのに……ね。

—8<— キリトリセン —8<—

合理的判断
薄っぺらい古典的経済モデルにおけるホモ=エコノミクス

メタ合理的判断
(=生きた規範、道徳)

(形骸化した)メタ合理的判断の信奉
一般ピープル

合理的判断
一般ピープルの批判的形態としてのホモ=エコノミクス(ひろゆき)

メタ合理的判断
生きた規範を身につけたスーパー一般ピーポー

—8<— キリトリセン —8<—

でも、そんなことを考えるひろゆきなんて、ひろゆきっぽくない。第一つまらないし、そんなおっさんならわしは別に好きにならないだろう。……ここまでメタ判断して行動しているのなら、結構大物だと思う。現に、もう大物だ。

ここまで読んでくれた人なら、僕が「ひろゆきの取り巻きクサい輩は嫌いだ」といっても驚かないと思う。そんな輩は、ひろゆきが作ったスタイルを身にまとって満足しているただの"ひろゆきっぽい一般ピープル"に過ぎないからだ。服を着替えただけに過ぎない。

blog comments powered by Disqus

Home > ぽえむ > ホモ=エコノミクスを超えて

My Friend Feed

http://friendfeed.com/daruyanagi

Google Analyticator

608
 Unique Visitors 
 (1 day) 
Powered By Google Analytics

Return to page top