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保護、支配、そして自由。

人権の実質的保障を目指す福祉国家は、人々の日常的生活領域に介入し、自律のための保護を提供する。しかし、この保護には恣意的支配が伴い勝ちであり、人々の自由を危機に陥れる。だが、だからといって保護そのものを否定すれば、自由・自律のための条件を失うことになる。こうした福祉国家のディレンマを克服する可能性を切り開くのが、自律への権利である。自律への権利とは、他者に依存してしか生活し得ない人々に、国家に対して自律のための保護の請求を認めることにより他者への依存を抑制し、同時に国家による保護を通じた恣意的支配への抵抗を正当化することによって、二重の意味で個人の自由を確保するものである。

The Rights to Autonomy in the Welfare State.

「おわりに」から読んでみた。ダメかな?w

"人々の日常的生活領域に介入し、自律のための保護を提供する。しかし、この保護には恣意的支配が伴い勝ちであり、人々の自由を危機に陥れる"というのは、具体的には、生活保護世帯で貯金やぜいたく品(クーラーなんかは微妙なラインだが…)の購入が認められていないという実態などを指している。それに限らず、現代の福祉国家では、保護の代償として被保護者の権利が侵害されがちだ。そして、"保護を受けている者は多少とも自由を制限されても仕方がない、といったわれわれ普通の人々の社会通念"が、それを正当化している。

その対抗として、"自律への権利"が求められる。では、自律への権利とはなにか。その前に、論者は「強い人権」と「弱い人権」の二論を挙げて、それぞれが目的とする「個人の尊厳」を整理しているのでそれを見てみる。

強い人権論による個人の尊厳

カントによれば、人間の尊厳は自律能力を基礎とし、その主体は自己の定立する規範と普遍的道徳法則との一致を要求され、他者に対して道徳的に義務づけられる。

弱い人権論による個人の尊厳

主体の他者に対する義務を前提とせず、むしろ、主体に対して権力を行使する他者に対して恣意的支配を禁止し、その権力を制限することによって主体の自律性を確保する。

論者は主に後者の論に立って、支配=被支配関係 を所与のものとし、弱い人視点による個人の尊厳の確立を訴える。それが自立への権利の基礎であるらしい。

なので、「自律への権利」はあらかじめ与えられた支配関係と戦うことへの正当性を認めるとともに、その基礎となる武器をも保証する2本立てになる。

1. あらゆる権力への抵抗の権利

あらゆる権力への抵抗の権利であり、国家の不介入領域の確定という意味で国家をネガティブに制約するのみならず、国家が介入しうる領域においても国家をポジティブに制約する…。いわゆる限定的人権論の最大の問題は、…福祉国家的介入が許される領域において権力制約の手段を失い、恣意的支配を放任する点にある。限定的人権論こそが、現代福祉国家の権力制約の論理構築を阻害し、自由を危機に陥れているのである。

2. 国家に対し自律のために必要かつ適切な保護を請求する権利

国家への保護請求権は、「他者」への依存の抑制と、自由・自律の確保を目的とする。保護の請求は「依存」ではなく、権利行使という極めて自律的な行為である。国家への保護請求権は、「他者」への依存の抑制と、自由・自律の確保を目的とする。

権力への抵抗を、その基礎(「保護請求権」)とともに認める。"個人の自由を二重の意味で(他者と国家から)確保することが自律への権利"というわけらしい。

コレは結構納得できる。と同時に、いろいろ疑問も沸いてくる。

1. 既存フレームでのテクニカルな解決

たとえば、生活保護行政で被保護者が不当に権利を制限されている問題。

これが正当化されているのは"一部の人間だけに"保護が与えられているからだ(もしくはそう誤解されているからだ)。等価交換の法則のもと、福利があればそれ相応の負担を強いるべきだという意見が正当化されている。

ならば、全員に平等に"生活保護"を与えればいい。みなが生活保護を平等に受け取るならば、その保護の使い道が制限される目的もインセンティブもなくなる。つまり、別に大仰な自律の権利なぞなくても、ベーシック・インカム(or 負の所得税)を導入すればいいのではないだろうか。また、BIや負の所得税は、自律の権利その2とも親和性が高い。いまの制度内でも、結果的に自律の権利が認められた状態にすることができる。

"現代福祉国家のディレンマ"は、まだまだ技術的に解決できる部分が多いのではないだろうか。後にも言うけど、自律の権利の普及はなまなかじゃないと思うし、そんな大上段に構えなくてもできることはいっぱいある気がする。

 

2. みんなが"弱い人間"ならば、社会が成り立たないのではないか?

自律の権利その1、僕はそれを"ぷち革命権"のように理解している。その前提で、それを強烈に支持する。でも、みんなが"ぷち革命権"を濫用したら、そもそも自律の権利その2を支える国家が崩壊してしまうのではないか?

(※支配構造を所与にしてしまうと、この視点を失いがちだ。)

"弱い人間"を基礎に権利を定めるのは重要だが、"強い人間"を醸成するフレームも必要なんじゃないかなぁ…。今はそのフレームとして、保護と支配のトレードオフがある。"弱い人間でいても結構、保護は与える。ただし支配というペナルティを受けてもらうよ"。自律の権利はそれを否定するわけだけど、代わりとなるフレームに欠けていると思う。

"弱い人間"だらけでも社会が成り立つなら、杞憂なのだが。

 

3. 教育とセットじゃないと意味がなさそうだ

うわべの意味だけを汲み取れば、自律の権利って危険だ。"好き勝手やれや、なにしても生活だけは保障すっから"ととられかねない。

Aだけ知るのと、Aと!A(Aへの反論)を知った上でAを支持するのは意味が違ってくる。自律の権利を醸成するには、それを支える個人、自律の権利に対してうわべの理解にとどまらない個人を醸成しなければならない。自律の権利がコンセンサスを得、広まり、教育を通して新しい社会への参加者にも備わっている、そんな社会を作るのはかなり骨が折れるし、時間もかかりそうだなぁ。

 

でも、既存の制度への抵抗権を保証するのは重要だ。そうでもなければ、ほとんどのヒトは既存のダメな制度も"しょうがないもの""抵抗してもムダなもの"として受け入れてしまう。そして、それを権利として定めるだけでなく、基礎基盤を同時に与えるのもとても大事なことだと思う。実現できもしねー権利がツラツラ書いてあっても、何のありがたみもないしな。結構テキトーに読んじゃったけど、いろいろ興味をもったし、ホーリツにも多少興味がわいてきた気がする。

正直ちゃんと読まなきゃな。いま、ビール5杯目。

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