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[メモ] 自由について

守るべき規範は"自由"に集約される。"自由を達成すること"から、公平・平等・道徳(≒共通善)の肯定が導き出せる。

 

"自由"を最大限に拡大するために

まず、抑圧からの開放としての自由がなければならない。しかし、最大化された"自由"は、"目先の自由"を追求するだけでは得られない。

 

"抑圧からの自由"と"可能性を広げる自由"

1. "個人的自由" ― 個人の能力をフルに発揮するための"抑圧からの自由"

"抑圧からの自由"は最大限排除されるべき。(「~からの自由」?)

ただし、"可能性を広げる自由"≒"「社会」を基礎とする自由"("社会的自由")を追求すれば、他人の利害との衝突が待っている。

2. "社会的自由" ― 個人の能力を超えて"可能性を広げる自由"

協力・分業・交易による「社会」を通じた"自分の可能性"の拡大(「~への自由」?)

→ そのためには"相互の信頼"が必須だが、1回限りの取引は必ずナッシュ均衡に陥る。
→ 「繰り返し囚人のジレンマ」ゲームにみられる「無限施行における信頼の可能性」

メタ合理的判断が可能なヒトは、「社会的合意」を形成しうる。カタラクティクス。経済は"社会的自由"を拡大する。しかし同時に、それは常に"裏切り"の恐れを内在している。契約を裏切るインセンティブが、常に潜んでいる。そこで、自由を拡大する手段として、"秩序"が要請される。(メタ規範理論)

・公平

"裏切り"のコストを上昇させるため、それに対する仕返し・処罰が正当化される。原始的な社会における法の誕生(歴史的な妥当性)。

※ 教育刑とは矛盾しない。ただし、教育の結果は可視化されるべき。教育の結果が見られないのであれば、教育刑の意味はない。

※刑罰の厳罰化するだけでは片手落ち。法の実効性=刑罰の重さ×法による補足率。刑罰の重さだけでなく、実効性全体を問うべき。

・平等

ヒトは絶対的に恵まれていても、往々にして比較的に恵まれていないことを過大評価しやすい(→行動経済学)。日本に生まれていれば世界的には(少なくとも物質的に)恵まれているが、ヒトは"格差"へ敏感に反応し、それを不公平であると感じる。最低限のセーフティネット・所得再分配への負担・貢献が、かえって自由を拡大する。

・道徳、規範

公平への感覚・平等を好む性向は、経験的・進化的に獲得された"社会的自由"をより広げるための基礎である。"道徳"(規範、その延長としての法・制度)は、進化的に案外正しく、身につけたほうがいい。長期的にみて道徳を身につけているものは、より大きな"社会的自由"を得る。しかし、それを鵜呑みにすることや建前として利用することと、"社会的自由"のために道徳を身につけることとは意味が異なる。道徳は要請されない。

・規範への抵抗の肯定

歴史的にロックインされた悪しき(≒時代に合わない※)"規範"も多く混じっている。そもそも、新規に社会参加するプレイヤーにとって、既存の規範は合意されたものではない。そのため、既存の規範に抵抗することは、無条件に肯定される。「(ぷち)革命権」

※規範はできたそのときから老化し始める

・"社会的自由"への参加の権利(→ "個人的権利"へ)

"社会的自由"へ参加するために必要とされる最低限の保障を、「社会(≒政府)」は約束するべき。"規範への抵抗の肯定"への基礎としても、犯罪以外のいかなる行動をとっても、最低限の保障は奪われない。

3. "個人的自由"と"社会的自由"

(建前化された)規範とそれへの抵抗の相克が、政治的対立の本質なんじゃないかなぁ。"個人的自由"(≒既存のフレームに抑圧された自由を回復すること)と"社会的自由"(≒既存のフレームにより自由を伸張すること)の対立がイノベーションに。

 

"真の合理的経済人"

近視眼的な合理的人間は、真に合理的であるとはいえない。
「自分の起こした行動がどのように評価されるか」「自分の行動が相手の行動にどのように評価されるか」「それによってどのような影響が予想され、自分はそれに対してどのように対処すべきかにたいしての漠然とした考え」など、メタ判断ができなければ、真に合理的であるとはいえない。
→ ex. 合理的と称したタダの自己中心人間

"合理的経済人"モデルへの批判は、メタ判断ができない扁平な古典的モデルへの批判に過ぎない。経済学は"非合理"をモデルに取り込んで、モデルを現実に近づけている。

一方、経済学は"合理性"の優位を明らかにしている。ヒトは完全な"合理性"を得ることはできないが、"非合理性"によってどれだけの厚生が失われているかを明らかにできれば、より豊かに(≒可能性を広げる、自由に)なれる。"理性はヒトを自由にする"。

合理的モデルと非合理的人間の歩み寄り → より豊かな世界。

 

"共感"の重要性

私たちはしばしば、メタ判断を自ら止めてしまう。知らないことは、判断できない。逆に、知らないことにより、判断せずにすむように、自分を仕向けることさえある。

「私は行動しなければならない。なぜなら、知ってしまったから。」
(※ある内戦で傷ついた子供のことを知って、あるヒトがいった言葉だったと思う。
忘れたけど。)

知ることによって、「負の効用」を得る機会が広まる。共感は利他心の源であると同時に、リスクをより広い「社会」で共有するインセンティブになる。

社会的自由の基礎となる、分業・交易。そのもとには"共感"がある。"共感"の拡大は、ヒトを自由にする。

 

今日のところはここまで。

文章にすると、言いたいことの1/10も言えないな。あと、読んだ本の引用を作っておくのは結構大事かも…と思った。何に書いてあったっけ、って全然思い出せない。

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