more from streets of Tehran #iranelection Photo by fhashemi
イラン大統領選後の抗議活動の盛り上がりと暴力的な鎮圧行動を世界が注視する中、テヘランにおけるさまざまな衝撃的画像がソーシャル・メディアを通じて外部に漏れ出している。これらは #iranelection というタグがついているものが多い。もともとTwitterのハッシュタグだったが、すぐにFlickrその他のサイトにも広がった。
ハッシュタグ #iranelection で見るイラン抗議行動の衝撃画像
Twitter を #iranelection タグで検索すれば、膨大な量の bit.ly リンクを見つけることができる。その先には、生々しいばかりの写真・ビデオで溢れ返っており、なかには正視に堪えないものも少なくない。
確かに世界は Twitter でつながっている。ほんの少し、# i r a n e l e c t i o n とキータイプする労力さえ惜しまなければ、現地の声・様子がダイレクトに入ってくる。いままでTVや新聞でフィルタリングされてきた情報の、削り落とされてきた部分にアクセスできる。
でも、日本にいて、Twitterタイムラインのほとんどが日本語だと、そういった実感があまりない。日本のWebでは、「爆発しろ」「どこどこなう」、アニメ話や愚痴、個人的な叫びで Twitter が消費されてしまう。やはり、梅田モチオ氏の言うとおり日本のWebは、残念なのかもしれない。
でもさ、「知る」というのは結構ツラいんだよな。知ってしまうと、共感が生じ、負の効用が発生する。ココでいう負の効用とは、アマルティア・セン的な「他人の痛みを自分のもののように感じるため、自分の快楽が減少してしまう」っぽい意味でテキトーに使っているのだけど、それは確かにあるはずだ(逆に「他人の不幸は蜜の味」ともいうけど、それは経済的・政治的にお互いある程度対等な、もしくは相手がかなり上位にいる場合の話)。"もう、無関係ではいられない。なぜなら、知ってしまったから"とは誰が言ったんだろう。忘れちゃったけど、まさしくそんな感じ。そういう痛みに自分を投げ入れる行為が engagement/commitment ってことなんだろうか。日本という国、国じゃねえな、"僕"が、世界のなかでプレゼンスに欠けるのは、そういう痛みを引き受けて世界に飛び込む・参加する覇気に欠けているということなのだろうか。
アメリカはある一面でウザったい国だけど、そういう痛み・責任を引き受けているから、奴らには文句を言えない。(ある一面はと、"余計なお世話"ってことなんだけど。パターナリズムというか)。日本も、僕もそうすべきなんだろうか。僕は「爆発しろなう」の方が気楽で好きなんだけど……。ただ、青臭いことをいうならば、責任を引き受ける主体が多ければ多いほど、パターナリズムではなくなるだろう。親父が家でデカい顔をできるのは、親父”だけ”が働いている間だけだ。
—
人間の能力には限りがある。どの問題を引き受けて、どの問題に耳目を塞ぐか。
問題参加の分業化、分業ネットワーク
共和主義的な見地から「どこまで市民に政治参加を求めるか」「政治専業階級の是非」「責任と(実生活における政治的)権利」
- Newer: じゃぁ、スギノコ派で。
- Older: LA FONERA 2.0 に少しムラムラきた。
Comments:0
Trackbacks:0
- Trackback URL for this entry
- http://www.be-styles.jp/archives/3032/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- もう、無関係ではいられない。なぜなら、知ってしまったから from www.be-styles.jp

