- 2009-07-06 (月) 0:07
- 独り言
Networking Photo by 50717872@N00
自分の自由(≒潜在的な能力)の一部は、他人の力に拠っている。
だとすれば、基本的に他人の自由の拡大は自分の自由の拡大にもつながるはずだ。
もちろん、100%そうであるとはいえないが。
- 自分の自由と他人の自由が両立する場合:なんら問題なし。
- 自分の自由と他人の自由が長期的にのみ両立する場合:初めてのヒトとの取引、時間を超えた取引、(複数の)他人を媒介とした取引、歴史的事情により感情的に分断された者同士の取引
- 自分の自由と他人の自由が両立し得ない場合:ゼロサムゲーム
社会が高度になるほど、自分の自由のうち他者に依存する部分が増えていくだろう。そうすれば、(2)のシチュエーションを目の当たりにする機会が増えるハズだ(資本主義システムはそれを「当たり前のもの」としてみんなを巻き込んで一般化してしまうシステムだった)。しかし、(2)の状況で自分と相手の境界を越えるには、お互いに共通する基盤はより大きくなければいけない。そしてもうひとつ、(2)の取引には決められた終わりがなく、その永続性に対し両者の努力が必要でもある。裏切りによって短期的な利益を掠め取るインセンティブは常に存在する。
前者からは、ナイーブな右派リバタリアニズムに対する反論を導き出せるだろう。僕たちは社会を高度化させていくにつれ、「最小国家」以上のモノをより多く必要にするようになる。それには、資本主義システムをベースに、より「公共財」としての制度が必要で、その中には資本主義システムに取り残されたモノへの投資・社会的共通資本や、ベーシック・インカムや負の所得税のような単純かつ最大限の効果を発揮する保障制度も含まれる。僕たちはより自由を拡大するために、少しずつ理性を高めてこれらの制度への理解と支持を高めていくべきだ…じゃない、そうしたほうが長期的には得だから賛成したほうがいいかもしれない。
また後者からは、自生的な秩序は存在したとしても非常に脆いものだということが言えないだろうか。芽生えた秩序を維持するには、短期より長期をとる理性と、それを自然に自分のものとすること・共有すること、つまり共通善をはぐくむ(逆にそれを蔑ろにするモノに対する制裁※)必要があるように思える。自由を延長するこのギルドに参加するためには、自律した倫理的人間でなければならない…もとい、そうあったほうがいいと思うよ。
とにかく、僕たちはお互いに欠けたるを補って、自由を自分だけでできる以上に延長している。でも、それは一種のバブルで、些細な裏切りで崩壊するものだ、というのが自分の認識であり自戒。
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※ここは矛盾点。共通善とはなんやねんという問題も含めて、課題。それは多分きっと「道ノ道タルハ常道ニ非ズ」なんだろうけどさ。
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