- 2009-07-27 (月) 23:02
- 独り言
なぜ自由主義は格差を生むのか – セカイ系権力の誕生 を読んで。
この言説では"自由主義が"格差を生んだとあるけど、本当にそうなんだろうか。
確かに自由主義経済は格差を広げる傾向にあるけれど、原始共産主義に格差がなかったとは言えない。最近読んだ『10万年の世界経済史』によれば、産業革命以前のより格差の少ない社会では、子供の間引き、疫病、戦争といったもので豊かさと人口のバランスを調整していたという。その構造が大きく壊れ、長い停滞から劇的な経済成長への移行期に、ヒューム(とその弟子、A・スミス)が生きた。
資本主義とは、貨幣を媒介に他人の生業を「機能化」する営みで、それは人々の可能性を大きく広げたけれど、その半面で生身としての他人を否定するようになった("他人"から見たら、マルクス的に言うと「疎外」されている状態になる)。
これまでの互酬的な経済では、相手は自分の中に内面化されていた。しかし、自由資本主義的な経済では、相手はカネの代わりにモノやサービスを引き渡す存在にすぎない。日頃は気のいいおじさんが、サービスを受け取る"客"の立場になるやいなや、横暴で非人間的な暴言を平気で吐くモンスターに豹変する、という場面にはよく出会う。
相手が内面化された社会では隣人は友人であり、格差(といった共通悪)は不公平なものとして嫌われる。けれど相手がマシーンであれば、格差(だけでなく共通悪全般)は気にも留められない。ピカピカのブランドブーツが、中国の出稼ぎの女の子の手で1つ1つ縫われている?デパートに並べば、そんな事情は消し飛んでしまう。
ヒュームやスミスが課題にしたのは、自由主義・資本主義経済を擁護する一方で、古典的共和主義的な手法で疎外化される他人・分裂する共同体をつなぎ合わせることだと思う。ヒューム・スミス~ハイエクの伝統は、市場を容認・支持しつつも、市場が破壊する"絆"を守ることも認識し、双方を両立させるシステムを設計することにある。
近代の自由主義経済は、基本的に「社会的信頼」の上に成り立っている という
言説は正しいが、それは別に自由主義経済に由来するものではなく、原始共産経済(というものがあればだが)から連綿と、社会の基礎として息づいている。そして、それは社会主義だろうが、共産主義だろうが、これからずっと変わらない。よって、"自由主義経済は悪"の色眼鏡をはずして読めば、後半の文章も組織やネットワークのごく一般的な力学について述べているのだとわかる。もちろん、このような事態をヒューム・スミス~ハイエクが是とするわけはない。この"構造"は自由を阻害するものだとして批判するんじゃないかな。
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まぁ、いろいろ誤読してると思うけど、適当に書き散らしてみた。多分、根っこのところでは"(自由主義的)資本主義"を止められるか、止められないかということに関しての見解の違いがあるんだろうな。僕は止められないと思うし、止められると思う人もいる。でも、やめたら自由主義経済がもたらした今現在の可能性はすべて失われてしまうんじゃないかと思うケド。
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