- 2009-08-01 (土) 18:04
- 独り言
ネットワーク外部性(ネットワークがいぶせい)とは、電話などのネットワーク型サービスにおいて、加入者数が増えれば増えるほど、1利用者の便益が増加するという現象である。利用者が増えることによって、ますます利用者が増えるという、正のフィードバックが発生する。
…ネットワーク外部性が存在する場合、新規加入者にとっての便益は既存加入者の数に依存するために、加入者数の少ない間はなかなか普及しないが、加入者数がある閾値を超えると一気に普及するといった現象が発生する。
最初は、エンスーが飛びつく。
次に、ある程度普及して一般人の目にも明らかな利便性が感じられるようになると、一気に普及が進む。
最終フェーズでは、「必ずしも欲しいとは思っていない」人間も無理やり買わされるようになる。(←今ココ!)
最初はネットワークに参加することの利便性はプラスにはなるが、ネットワークに参加しないことがマイナスに働くことはない。しかし、ある閾値を超えて「ネットワークに参加することが当たり前」とみなされるようになると、ネットワークに参加しないことがマイナスの利便性として認識されるようになる。ある時点で、社会の判断基準が「持っていないことが当たり前」から「持っていることが当たり前」にそう転移する。そうなってしまえば、もう後には戻ることはできず、肥大化していくネットワークに飲み込まれるのが苦痛な人間にとっては、つらい時代になるんだろうな。
みんながケータイを欲しがるうちに、それがうねりになり、たいして欲しくない人も巻き込んでいくようになる。
これは携帯電話だけの話じゃない。テレビもそうだったし、電子レンジだって、クルマだってそうだ。加えて、一度モノが当たり前になると、そのモノのそのまた上に市場・制度・規範が構築される。ネットワーク・システムは互層的、というか互いに影響しあいながらより高層化していく(そして、ある日、基礎から大崩壊したりする)。そうなると、基礎的なモノを持たない人は、より高度な・高層化した市場・制度・規範へアクセスできない。気がつけば眩暈のするような格差が生まれるというわけだ。
それがいいことか、悪いことかについては言えないし、言っても仕方がないことかな。それがネットワーク、システムというものだ。だったら僕は、それに押しつぶされて苦しむ側にいいたり、それに抵抗する自分に酔って満足するよりも、利用して楽しむ側でいたほうが得だなぁーと思う。
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その最たるものが、資本主義だったと思う。みんな、自分で自分の食うものを作って、自分の余りモノを他人のモノと交換しているうちはよかった。それがいつの間にか、自分の全部、労働力全部を売り渡すのが当たり前になって、それを前提にいろんな制度・規範ができて、いやでもそうものに巻き込まれて生きるしかなくなった。
まぁ、それを克明に描いたのが『資本論』なわけで。だからこそ、「マルクス経済学はクソの役にも立たたねぇ」といわれつつも、みんなが読まなきゃいけない経済学の「古典中の古典」ということになるんだろう。でも、良く考えたら、それって『資本論』も『国富論』『一般理論』なんかとともに学説ネットワークの基礎財ってことなんだ。なんだか、面白いなw
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