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「あなたはリバタリアンです」で済めば簡単な話なんですがね

経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ) 経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ)
著:橋本 努
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今日は第1章「一貫した経済倫理の立場を形成してみよう」を読んだ。結論を言えば、さらに自分の立場がよくわからなくなってきた!

とりあえず、昨日のエントリーで表明した立場からすると、僕は「リバタリアニズム」の立場になるっぽい。

利益
(既存の道徳が経済活動にとって邪魔なら排除していい)

道徳
(企業には社会的な責務・役割がある。既存の道徳を守れ)

原理としての善
(経済成長を犠牲にしても公正を求める。公的資金注入反対!)

秩序としての善
(経済成長を犠牲にするぐらいなら公正はあきらめる。公的資金もやむなし)

自由な関係性
(組織それぞれに独特のやり方を認める。いやならやめればいい)

人為的なリベラル制
(法律で公平・平等といった望ましい体制を実現すべき。労働者を護れ!)

包摂主義
(経済活動は倫理で縛るべき)

非包摂主義
(みだりに規制を設けるべきではない)

 

1. 現代は「経済に社会が埋め込まれている」。これはしょうがないことで、まず認めることから始めたい。だから、みんな道徳より利益を追求するとみなした方がいいし、それを積極的に認めて、うまく制度設計をして全体に利するようにすればいい。

2.「原理としての善(経済成長<公正)」と「秩序としての善(経済成長>公正)」については確たる態度を示せなかったので、「新自由主義」かもしれない。双方は両立できると思うし、どっちが大事かは時と場合にもよるかなぁ…と思う。たとえば、日本の賃金においては、戦後当初は生活を維持するための各種「手当」の割合が大きかった。当時はとりあえず「次の日会社に来てもらえること」が"公正"として重要だった。だからそれはそれでありだったけど、21世紀の今日でもそれでは能力のある人間がどんどん逃げて行ってしまうだろう。

3. たぶん、さまざまある諸原理で、一番重要なのは「自由」だと思う。公平や平等といった理念は望ましいけれど、自由ほど望ましいものではない。なんであれ、「~すべき」と言われたら、「やだ」というのが自分的にはフツーだと思う。

4. 倫理は守った方がいいが、それは結果的な話で、何をさておき倫理を守るのはちょっと窮屈でおかしいことだと思う。べつに僕たちは倫理を守るために生まれたわけじゃないし。けれど、個人としては倫理的であるのが理想的だ。

まぁ、ここで「あなたはリバタリアンです」で済めば簡単な話。

だけど、いろんな主義主張を読むにつれ、どれに対しても一定の共感を感じてしまうのだよね。「~主義」というのは、お互いに似ているところがあるけれど、一緒にはされたくない"差異"もあって、ピッタリと自分をある「~主義」に当てはめるのは難しい。

そして、"自分がこうありたい主義""まわりがこうあってほしい主義"というのは結構違うのだな。これを本書(第2章の話題になるが)では「社会と個人の異型説」と呼んでいるが、それは確かにある。僕は「周りが変わるより自分が変わる方が手っ取り早い」と思うので、逆に「周りにどうなってほしい」かについては希望が希薄(文句を言っても仕方がない)なのだけど、「自分がこうありたい」なということについては強い希望がある。「倫理で人を縛るのはよくない・縛ってもしょうがない」と社会に対しては思うけれど、自分は倫理的に生きたほうが思い描く自分の理想に近い。そういった差異をどうやって埋めるか、またはそのままで全然いいのかは今まで考えてこなかったことだ。

明日からは、各主義と自分を比べてみようかなと思う。

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