Home > Study > 経済成長は偏在する?

経済成長は偏在する?

image

「0%成長 = 2%失業」というのは、はっきりいって甘いと経済人としての私は感じる。なぜなら現在は「2%成長でも10%失業でおかしくない」時代なのだ。なぜそうかといえば、著者もうすうす気がついている。成長のルールが変わったからだ。

かつて2%経済成長というのは、全員の経済が2%成長した結果もたらされるものだった。今や違う。10人のうちたった一人が20%経済成長し、残りが頭打ちというのが現代的経済成長というものであり、実はそれすら甘く、100人のうちたった一人が10倍成長し、90人はマイナス1%成長し、そして9人はマイナス68%成長した結果平均で2%成長という姿の方が近いのだ。

404 Blog Not Found:一票はこれを一読してから – 書評 – 脱貧困の経済学

何でもないところなんだけど、なぜかとても気になった。“かつて2%経済成長というのは、全員の経済が2%成長した結果もたらされるものだった。”――ぶっちゃけ、そんな時代なんて過去にはなかったはず。

資本主義経済は、すべてを量化していく。
商品はただそれだけでは商品たり得ない。必ず交換において商品として存在する。そして、モノが商品化する過程で、モノは安定して・均質に供給されるように社会に(経済に?)強制される。

たとえば、カール・ポランニーによれば、労働は決して商品ではない。しかし、資本主義社会では"擬制的"に(便宜として)商品として扱われる。時間当たり1,000円ならば1,000円で"一定の期待されたパフォーマンスを持つ"労働力が、欲するときに欲するだけ供給されるように期待される。時給1,000円の労働力を3時間、100円のバナナを3房、150円のカップラーメンを5個は、安定した固有の価値を持ち、量で計ることができる。

そういった量化されたモノが、資本主義における商品(の性格の一部)だ。本来、商品として量化できない、ユニークな・かけがえのないモノを、そのモノの意志や文脈に関係なく磨り潰して磨り潰して資本主義商品世界に取り込んでいく過程、それをポランニーは"悪魔の碾き臼"と表現した。産業革命による急激な技術進歩+すべてのモノを商品世界に取り込むマインドが、([認めたらがらない人も多いけど]人間一人一人の可能性を爆発的に高める一方で、)既存の社会基盤を破壊し、かえって人間を孤立化させた。

 

とはいえ、どれもこれも上手く碾き臼にかけることができたかといえば、決してそんなことはない。モノの商品化+技術進歩という碾き臼にかけても、すべてが均質に粉にされるわけではない。たとえば、「ボーモルの病(「ボーモルのコスト病」)」という言葉がある。

「ボーモルのコスト病」は、1960年代にウィリアム・J・ボーモルウィリアム・G・ボーエンによって見出された現象である。ボーモルのコスト病は、単にボーモル病、コスト病とも呼ばれている。ボーモル効果と呼ばれることもある。ボーモルとボーエンの研究は、もともと実演芸術に関してなされた。ボーモルとボーエンは、ベートーベンの弦楽四重奏を演奏するのに必要な音楽家の数は、1800年と現在とで変わっていないということを指摘した。つまり、クラシック音楽の演奏の生産性は上昇していない。自動車製造部門や小売部門のような商業部門では、機械や器具の技術革新によって絶えず生産性は上昇している。それに対して、実演芸術や看護、教育のような労働集約的な部門では、人的活動に大きく依存しているため、生産性はほとんどあるいはまったく上昇しない。弦楽四重奏の例と同じく、看護師が包帯を交換する時間や、大学教授が学生の文章を添削する時間は、1966年と2006年の間で、短縮されていない。

ボーモルのコスト病 – Wikipedia

image

道具・機械によって効率化できる部分は、産業によって大きく異なる。それによって年々の生産効率性にも開きがでる。ここで価格は生産性の逆数と考えていいので、価格は自動車が最も低価格化し、次に農業、そして人的資源に依存する介護などの分野はもっとも価格が変わらない(≒相対的には高くなる)。

こういうことを研究する分野を「文化経済学」というらしいのだけど、これは最近はやりの「行動経済学」などともちょっと違った角度から、市場メカニズム信奉主義に警鐘を鳴らしている。

文化経済学と新しい公共性
http://elib.doshisha.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/BD00012221/Body/040000020008.pdf

 

さてはて。最初の話に還る。

有史以来、「経済全体が均質にX%成長した」ということはない。もしそのような錯覚を持っているのならば、それはマクロ経済学の悪しき影響だと思う。「マクロ」という手法に異議を唱えた経済学者は多い。

けれど、最近になって「経済全体が均質にX%成長することはない」と実感できるようになった……ということなら十分ありうる。ルールが突然変わったのではなく、隠れていたルールが顕在化してきた、みたいな。

だんだん効率化の容易な産業に効率化の余地が少なくなってくると、比較的非効率な産業に携わる人間の割合が増える。その一方で、フロンティアの部分では相変わらず能力(と運)のある人がガンガン新しい分野を切り開いて稼いでゆく。俄然、広がるばかりの格差が目につくようになってしまう、というわけだ。

image

それもこれまでは、資本と労働力の移動でまかなってこれた。資本・労働は、水が低いところに流れるように、より高いリターンが得られる分野へ絶えず移転を繰り返している。

けれども、どうやらそれも限界に近づいていて、少なくない部分の労働者の賃金が、生命の維持・再生産に必要なレベル(衣食住+結婚して二人と少しの子供を作り、それなりの教育を施して社会へ送り出すのに必要なレベル)に達しなくなってきたのではないか(資本にしても、投資先がなくてバブルという花火をあげているのかもしれない)。いわゆるワーキングプアとかいうやつだ。

となれば、ホリエモンの言葉が俄然重みを持ってくるように思われる。

「働くのが好きで働いている」というような一握りの人が働いて、社会の富を作り上げている。そういう人は、ベーシックインカムがもらえるとしても、そのまま働くと思いますよ。だって、好きで働いているんだから。そういうワーカホリックの人たちが、イノベーションを生み出していくんです。だから、働きたくない人は働かなくてもいい。

J-CASTニュース : 政府の年金運用は間違い 全員に毎月8万円一律に配れ(インタビュー「若者を棄てない政治」第2回/元ライブドア社長・堀江貴文さん)

結局、産業のエッジでガンガン稼ぐ人にベーシック・インカムの原資を稼いでもらって、他の人間はそういった人の邪魔をしない。そんな社会にしていくしかないのではないかなーと最近ぼんやりと考えている。

弾さんもそうだけど(今回は少し上げ足とっちゃったけど……)、IT系のヒトは効率性の問題にとてもセンシティブだと思う。ぜひその発想は取り入れるべきじゃないかなぁ、と思うんですよ。あと、ボーモル病により政府の維持費用が相対的にあがるなら、より一層の効率化が求められるんじゃないか?…とか。

ボーモルのコスト病は、公立病院や公立大学のような公共サービスの生産性が上昇しないことを説明するために、用いられてきた。行政活動の多くは、かなり労働集約的であり、国民一人当たりの人員を削減することは難しい。生産性の上昇はほとんど可能ではない。結果として、官僚制の費用は、国内総生産(GDP)よりも大きく増大していく。

でも、最近の自分はBI厨みたいでやだなw

Home > Study > 経済成長は偏在する?

My Friend Feed

http://friendfeed.com/daruyanagi

Google Analyticator

608
 Unique Visitors 
 (1 day) 
Powered By Google Analytics

Return to page top