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コンビニのレジにおけるパレート原理と公平性

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ふつうに都会で生活してて、たとえばコンビニでレジが3人並んでたとしますよね。で、自分が4人目に並んだとして、欲しいのがタバコ1個だったとする。このときに「タバコ1個ですぐ終わるんだから、さっさと自分のほう片付けれ」って思う人って、わりと少数派だと思うんです。

レジの順番守れないおっさんたち – G.A.W.

僕も「ちゃんと並ぶのがふつうだし、そうすべき」だと思っていたので、これに異を唱えた piro さんの意見が新鮮だった。


正直言って、僕は「自分の買いたい物が1個だけなんだから先にこっち処理してくれればいいのに」と思うことはたまにある(家賃の振り込みのためにATMに並んだら前の人が何件も振り込みしててその後ろにどんどん列が伸びていく、という時によく思う)し、あるいは自分が大量の買い物をしようとしている時に1個の物だけ買おうとして急いでる人がいたら、その人の分だけ先に処理してあげられないということに微妙に罪悪感を覚える。ボトルネックのせいで全体の処理が遅れてる、という状態に何とも言えない居心地の悪さと「この状況を解決したい」欲を感じる。

でもそう考えるのって世間的には「学が無くて」「社会のシステムに合わせることができない」「我慢のできない」「マナーの悪い」考え方とみなされるのか。ということに驚いたと同時にガッカリした。

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分かりやすいように、ここではA→B→Cの順に3人の人が並んでいてそれぞれT(a)=20秒、T(b)=T(c)=5秒の時間がレジ処理にかかっているとする。すると、現在の最後尾Cさんの待ち時間W(tail)=W(c)=Ta+Tb=25秒になる。

これを順番を少し入れかえれる(Aさんを最後にする)だけで、"最後尾の人(Aさん)の待ち時間"はW(tail)=W(a)=T(b)+T(c)=10秒と、半分以下にまで短縮することができる。piro さんはこれをもって"ボトルネック"と呼んでいて、それを解消したいと願うわけだ。

けれど、実際にはそれは無理な相談だ。ためしに、順番を並び替えたことで、待ち時間Wがどのように変更されたかを見てみればわかる。

  W(a) W(b) W(c) W(tail)
A→B→C 0 20 25 25
B→C→A 10(+10) 0(-20) 5(-20) 10(-15)

Aさんだけが一方的に損をしているのが明らかだ。仮にAさんが piro さんのように、「(自分がほんの少し犠牲になることで)全体が幸せになることを喜べる」人であれば、この処置に納得してくれようが……実際には周りみんなが赤の他人状態では難しい。Aさんがそのよに考えるかどうかを事前に知る手段がないからだ。だから、仮に順番を入れ替えれば全体として待ち時間が30秒削減されるとしても、次善の策として「例外を認めず順番を守らせる」のが最良となる(一種のナッシュ均衡みたいなものか)。

このことは、厚生経済学では「パレート原理」として知られている。
(経営学ではちと意味が違う?パレートの法則「上位20%の顧客によって、売上の80%がもたらされるという経験則」がGoogleで引っかかる感じ)

ある行為、ある政策によって、少なくともある一人の人の状態が以前よりも改善され、しかも他の全ての人々が少なくとも以前と同程度に望ましい状態にあるなら、その行為や政策は社会的に望ましいものとみなされる。したがって、他のすべての人々に不利益をもたらさない(境遇を以前より悪化させない)範囲内において、ある人の境遇を改善する政策は許される。

さすがにこれだと現実世界では"何をすることも許されない"ので、カルドア&ヒックスは「補償原理」でこれを補った。

カルドア基準 

ある変化によって利益を得る人が損をする人の損失を補償することを考える。補償してもなお利益が残っているならばその変化を是認する。
ヒックス基準 
ある変化によって損をする人が当該変化を阻止することを考える。その変化によって利益を得る人の逸失利益を補償しようとしてもパレート優位な状況をつくれないならばその変化を是認する。すなわち、逆の変化がカルドア改善でない場合をいう

難しくなった。要は「何かをするときは、"誰も"損をしないやり方を選びましょう。"みんなが"ハッピーになる方法だけを選びましょう(誰かが損をする場合は、それを補償できる場合に限る)」というわけだ。

後で貸し借りを返せる関係だったり(Aさんはあとで列を譲ってもらえるとか)、PCのリソースを改善する場合なら、パレート原理に適う必要はない。けれど、みんながみんな、お互いのことをしらないその場限りの場合は、パレート原理は「公平感」の物差しになる。だから、別にコンビニで列をなすのは「システムへの順応」「同調意識」ではなくて、お互いに嫌な思いをしないために要請される最低限の道徳律なんだな。

「タバコひと箱買うだけなんだから、俺を優先しろよ」とレジの列を乱す50歳代のオヤジの何が悪いか……結局、それは自分の都合丸出しで道徳を乱すことだ。もし、「あの人はタバコ1箱買うだけなので譲ってあげましょうよ」と提案するのならば、それは"悪い均衡状態"から"良い均衡状態"へ移行させるのだから、とてもよいことだと思う。

ただし、パレート原理ではレジでみんながダラダラならび続けることを是認してしまうし、貧乏人の絶対的生活水準が低下しない限り金持ちがもっと金持ちになることも肯定する。それが結局のところいい結果を及ぼすかどうかについては、なんの解決にもならない。だからこそ、21世紀でも非市場的な領域を作って、再配分による"均衡状態の改善"へのインセンティブは常に存在するはずだ。


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