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[メモ] 小さな社会、大きな社会 ― 加算・減算の価格決定プロセス

「小さな社会(共同体志向・組織内関係・統治の倫理)」

「大きな社会(個人志向・組織間関係・市場の倫理)」

の違いについて過去何回かメモしたけど、それって分けてるだけやん、意味あんの?と思う人も多いと思う。けれど、これは結構重要なことだと思うんですよ。

たとえば、人間は直観的に価格に対して二つのモノの見方を持っている。一つは積み算で、一つは引き算。それも、この二つに絡んでいるのではないかと、最近思う。

  • 小さな社会=商品の価格はコストの合計できまる(生産費説)
  • 大きな社会=まず需給で商品の価格が決まり、そこからコストを支払っていく

たとえば、労賃の決定課程であれば、小さな社会に住んでいるつもりの労働者は「これだけ働いたんだからこれだけよこせ」と主張する。けれど経営者は大きな社会に住んでいるので「払えるのはこれだけだ」という。

もちろん、人は自己の再生産に必要な最低賃金水準を持つ。結婚して、子供の2・3人を作って、恥ずかしくない程度の教育を与えて社会に送り出す。そのために必要な収入というものはある(たぶん個人で年収300万、世帯で500万ぐらい?)。

けれど、それを補償する義務が企業にあるかと言えば、ない。(方法論的利己主義として)企業の立場で言えば、人間は運営に必要な頭数を揃えば十分、それに必要な金額を、需給が決定した価格で支払う。それが成り立たないなら、市場から撤退するだけの話だ。それを批難する人もいるが、結局は「じゃぁ、お前が代わりにやれよ」「……。」となるだけなんだよな。

しかし、仮に基礎的な産業で撤退がおこるとする。農業でもいい。それでは、基礎産業をアテにしている高度な産業は困るだろう。ひいては、やはり(少なくとも基礎的な産業に限ってでも)「小さな社会」の倫理で価格を決めるべきだという意見がおこるだろう(≒後ろ向きな産業保護政策)。

「小さな社会」の倫理はどこまで拡大すべきだろうか。
「大きな社会」の倫理はどこまで許容されるだろうか。

社会の単位のスコープを「国家」に合わせれば、基礎的な産業を守る「小さな社会」的な再分配政策が容認されるだろう。けれど、同時にある先進的な産業を国が補助して引き延ばす"前向きな産業政策"も許容するだろう。より大きなグレート・ソサイエティである「グローバル社会」で生き抜くためには、必要な手段なんだ!と主張するだろう。

けれど、社会単位を個人や企業におく「大きな社会」主義者は、自分の所得をはぎ取って他の人の財布に入れる再分配的な政策を好まないだろう。しかし、自分を脅かす基礎産業の崩壊に対しては補助を行う"後ろ向きな産業保護政策"を支持する余地はある…常にそれに疑問を呈しつつも。彼らにとっては、国家の中はすでにグレート・ソサイエティであり、経済的な戦場でもある。

「小さな社会」がより大きな社会単位のスコープを志向し、「大きな社会」がより小さな社会単位のスコープを志向するのは、個人的に面白い点だと思う。けれど、一見「小さな社会」「大きな社会」という名前と矛盾するようで混乱する人もいるかもしれないなぁ…いい言葉があればいいんだけどね。

僕はどっちかっていうと「大きな社会」主義者になるのだろうけど、引き続きこのフレームを使っていろんなことを見ていこうと思う。次は両者の互酬・交換形態の違いについて。


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