- 2009-09-24 (木) 1:58
- 独り言
結局のところ、「労働者と経営者の利害は対立している」という捉え方こそが、問題を深めているように思う。経営者を敵視して、「企業への規制を強化すれば、労働者の利益になる」と考えるのは、間違っている。企業を規制すれば、企業の負担が増し、それは企業の雇用方針や商品価格などに影響を与えるので、規制の「コスト」はけっきょく労働者にまで戻ってくる。「市場はつながっている」のだ。
うまいこというなぁ…と思った。
もし、法律や規範といった社会的ルールによって「再就職が難しい」「よって賃金への不満を表明しにくい」「サービス残業への不満を会社へ伝えにくい」場合、"企業"はそれを最大限に利用するだろう。
それは"経営者"が悪い心の持ち主であることを必ずしも意味しない。
仮にある経営者が労働者の待遇を良くしようとしても、他の経営者に出し抜かれてしまうため、商品の価格で勝つことができない。消費者はそのような事情を知らず、価格のみを購買の際の判断材料にするため、必ず悪い経営者(?)の企業が提供する、安い商品を選ぶ。良い経営者は滅びざるを得ないだろう。
結局、悪いルールが"悪い経営者"という役割を経営者に押し付けるのだ。
なので、社会的ルールが改善されない限り、ある"経営者"を名指して叩いたり捕まえたり懲罰を与えることに、あまり意味はない。
悪い経営者がひとり退出しても、そこを別の新しい悪い経営者が埋めるだけの話。
または、契約書類を1枚増やしたり、労働者へ口止めを強化するといった小手先の対処が行われるのが関の山といったところだろう。
会社に対して、このように家族的な濃密さを半ば強制しているのが解雇規制だが、仮に解雇規制がなくなったとしても、会社がみずから終身雇用や家族的な経営を選ぶのはまったく問題ない。実際、終身雇用のほうが良いと考えている経営者はたくさんいる。問題なのは、解雇規制によってすべての会社に終身雇用を半ば強制し、経営の自由を奪っているということだ。経営の自由が奪われれば、「市場はつながっている」ので、そのコストはさまざまなかたちで労働者にまで回ってくる。長時間労働もそのひとつなのだ。
もう一つの論点としては、
「解雇規制を撤廃すること」
「企業が従来の雇用制度を維持すること」
の2点は独立の問題だということだ。"仮に解雇規制がなくなったとしても、会社がみずから終身雇用や家族的な経営を選ぶのはまったく問題ない"。単に、フレームとして終身雇用や家族的な経営があり、それから逸脱するや否や損をするという構造が問題なのだ。
そして「市場はつながっている」ので、そのコストはさまざまなかたちで(一番立場の弱い)労働者にまで回ってくる。これは言いえて妙だと思う。
どの企業も新卒信仰を受け入れざるを得ない構造
サービス残業をして賃金に対する実質的な仕事量を増やすことが許される構造
作り出された"安定"と引き換えに職業へ人を縛り付ける構造
そういったモノと違う構造の存在を許す、よりシンプルでコンパクト、かつ緩やかなルールが必要だ。
"家族主義"とは「小さな社会」の論理に他ならないが、それは小さな組織では結構うまく作用する。全員が共通の規範を身につけることで、コミュニケーションコストを削減し、目標への一体感を醸し出すので、個人主義・自由主義的な方法よりも結果を出しやすい。
しかし、組織の規模が大きくなるにつれて、構成員が持つ"共通の基盤""最大公約数"はますます小さなものになる。そこへ無理やり「小さな社会」の論理を押し付けても、"官僚主義"に陥ったり、自由を奪われた個人が苦しむだけだ。そのような社会では、ザッハリッヒな官僚主義に徹するか、「大きな社会の」の論理を導入して自由に・ゆるく・広くつながるのがよい。
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実は、「システムのなかである役割を演じさせられる」というこのロジック、実はまるまるマルクスの『資本論』の論理を援用したものだ。
『資本論』において、労働者を搾取するのはA社のX社長、B社のY社長といった具体的な個人ではない。"資本の運動"によって"必然的に"強制される役割を演じるものとしての"資本家"だ。だから、マルクスはこの構造を打破するためには、それぞれの資本家ではなく、構造そのものを(生産手段の労働者への移転といった手段によって)打破すべきだと考えたわけだ。
一部の左派は、自分たちの基礎と位置づけている古典すら理解していない。
このことは左派の主張の基礎がいかに脆弱かということを意味しているようにも思える。
そしてあろうことか、今は構造を守る側に積極的に加担しているのだから…ちょっと悲しい。
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