- 2009-10-06 (火) 4:49
- 独り言
土地はそこから富が引き出される源泉、あるいは素材である。人間の労働はその富を生み出す形式である。
カンティロンは最初、村・町・都市・首都について述べるが、モデルでは簡略化のため村と首都だけを取り上げ、それぞれ半分ずつ人が住むものと考える(村に借地農:都市に地主+職人=1:1)。借地農は地主から土地を貸し与えられ、それを存分に活用して土地から生産物を引き出す。生産物は
- 地主への地代: 全生産物の2/6
- 自己や事業を維持する費用: 全生産物の3/6
- 利潤: 全生産物の1/6
に三分割される(3つの地代)[1] 。労働は土地から生まれる食料によって維持されるので、結局、すべての富は土地の価値に還元できる。カンティロンのモデルでは、土地は完全に利用され、土地から生まれた価値が取引を通じてみなに行き渡っていき、フローがうまくバランスする"静態的"モデルだ。
カンティロンによれば、自律自存できるのは地主のみであり、地主の消費がすべてのモノに価値を与え、すべての住民を扶養する。土地(とそれに付随する労働)の利用は、地主による地代の使い方を通じて分配が変動する。とどのつまり、地主以外はその従属者(召使いなど)の給与取得者か、「企業者」である。
「企業者」は、農村にすむ借地農、都市に住む商人・職人に限らず、すべて地主に従属しつつも、自分の労働・リスク管理のもとで自由に活動する「不確かな生計の人」であり、"静態的"なシステムにダイナミズムを与える。最初に消費を駆動するのは地主だが、「企業者」が富を蓄積するにつれ消費の主導権も握っていき、最後には「地主と覇を競う」までに成長する。
[メモ] ボワギルベールの世界 の図と比べてみると面白いかもしれない。
君主(地主)は支出の在り方を通じて、土地と労働の活動を有効に指導しうる。ときには娯楽やみずからの奢侈のために仕事を作り出して、いわば"有効需要"を作り出すことも「十分、奨励に値する」ことであり、「(支出によって)手本を示すだけで、確実に臣民の労働を意のままに変えることができる」と考えた。これが2部における、産業的ディリジスムへとつながっていく[2] 。
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内在価値についてはまたこんど
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