- 2009-10-15 (木) 4:42
- 独り言
別に恥ずかしい事じゃないけどわざわざ言うのもやらしいのであんまり人前で言わないんだけど、ウチ母子家庭なんすよ。
なので物心ついた頃からウチのオカンは月収手取りたぶん16万くらいで子供ふたり養ってたはずなんだけど、正直それで特に貧乏を感じた記憶ってないんですよね。
まあそりゃ贅沢もしてないと思うんですよ。…それでも金がないには金がないなりに不足を感じない遊び方や生き方、買い物の仕方を身につけてるから、まあそれが社会的に見て相対的には不幸せなのかもしれないけど、少なくとも俺の絶対的には不幸せではないのね。
でも社会に出てこうやって生きてると、年収200万ラインって底辺オブザ底辺って事になるらしい、ってことに気づいてしまうわけね。
だいぶ無駄にはしたけれど、経済学部(とサークル)で学んで今でも役に立っているのは、「大事なのはカネではない。そのカネで"何ができるか"だ」という教え(貨幣ヴェール説)。たぶん、経済学部生なら1回生の5月ぐらいにミクロの原論かなんかでみんなが習うことだと思う。経済学の最初のブレイクスルーはそのことに気付くこと、そして富とは本質的にカネではなくて[1] カネなどを使ってアクセスできる"可能性"のことであると気づくことだった。
そして、アクセスできる"可能性"は、社会的環境と個人的能力に依っていて、たとえば同じ年収でも個人個人で大きく異なる。
仮に同じ年収200万を得ているとしても、"「タクシーに乗る」とか「外食して1000円くらいのランチを食べる」"ことから自分の幸せを引き出す能力(個人的能力)を持っているヒトと持ってないヒト、そもそもタクシーやレストランのあるところに住んでいるヒトと住んでないヒト(社会的環境)によって、得られる幸せは質・量ともに違うに違いない。
ウチの場合は実家がそこそこ大きな建設会社を営んでいたから、モノに不自由することはほとんどなかった[2] 。でも、とーちゃんはあまりカネの使い方を知らなかったし[3] 、かーちゃんはかーちゃんで嫁入りした時は焼いたまんまのサンマの食べ方を知らないぐらいな世間知らずなお嬢さんだったから、こちらもあまりカネの使い方は知らない[4] 。
だから、僕は本の知識とその実践において "足るを知る" を分かってはいるけど、同じく"「タクシーに乗る」とか「外食して1000円くらいのランチを食べる」"ことから幸せを十分に引き出せるかは自信がない。小さいころからの、カネを幸せに変える素養がないから。頭で考えて"カネがない状態"を我慢(というか、不自由なく思う気構えを持つこと)はできるけれど、それでは幸せを引き出したとは言えないだろう。
その点で、エントリ主はスゲーなって思う(おかーちゃんもスゴいかもしれない)。幸せの"可能性"を具現化するチカラ、"潜在能力"[5] がとても強い。いくらお金があっても、うちのとーちゃんみたいにそれを幸せに変えるチカラが少ないと、お金に見合った幸せを得るのは難しいかもしれない。
まぁ、だらだらと何を言いたいのかというと。不幸を幸せにするには、社会を変えることも大事だけど、自分を変えることも大事だということだ。ブロゴスフィアを見渡すと、"社会を変えること"にばかり躍起になっている人[6] もいるけれど、"自分を変えること"もとても大事。
たとえば、「コンビニ貧乏」という言葉がある。
コンビニは便利だけど高い。でも、低所得者層(または高年齢層)ほどコンビニの利用率が高いのだそうだ…そして貧乏になる。節約する方法を知らないのか、節約に労力を投じる気力・意識がないのか(個人の能力)。いくら安い給料で頑張っても、支出がダダ漏れであれば意味はない。いや、もしかしたら働くことで精根尽き果て、コンビニ以外へ行く気力がない、夜遅くまで働くので安い店は閉まっているという悪い循環に陥っているのかもしれない(社会的環境)。
しかしだ。
個人的能力は自分の意志でどうにかできる部分もあるけど、社会的環境は独りでは変えられない。また、自分が変わることで社会環境が変わったり、社会環境を有利に利用できるようになったりもする。なによりまず、自分を支配して自立的に行動できない癖に、社会を変えようと言っても説得力に欠ける。
そんなわけで、僕はどっちかっていうと、個人的能力を高める方を優先したほうがいいと思う。社会的環境を変えるのは、もっと偉い人、政治家なんかの役目だしね。選挙にはちゃんと行きつつ、カスはカスにできることをがんばればいいと思うんですよ。…でも、これってブロゴスフィア的には「自己責任論」なのよね。
この二つは決して二律背反ではないのだけれど、そう思っていて、「自己責任論」をみるとすぐにファビョってしまう人は多い。単に"社会"か"個人"かという、議論のスコープが違うだけなのにね。
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なんかすげー話だよなって思う。そんなわけであなたが底辺だと思ってる人達は案外自分達を底辺だと思ってないかもしれないのでお気を付けください、勝手にやたらと憐れむと逆に傷つくよ(←これが言いたかった)って話でした。
とても分かる気がする。
たぶん、年収200万は、自分でできることと社会でしかできないことのバランスという点で、とても微妙な境界的状況なんだな、きっと。"社会"を何とかしたい人にとっては格好の出汁だし、"個人"で何とかしてる人にとってはそれが不快でお節介で介入主義・包摂主義的でイヤなんだ。
でも、そんな人たちの主張が通ればきっと"個人"な人にも悪くはない話だし生暖かく見守ってあげればいいんじゃないかなと思う。そして"社会"な人は、リベラリズムを名乗るならそういう多様な考え方にも一定の配慮をすべきだろう。
# 「世の中金じゃない」といいつつ、カネに生活も考えも依存した・支配されたひとが多いと、とても思う。僕らは本来、そういったモノからもっと自由であるはずだ。
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