- 2009-10-18 (日) 2:36
- 独り言
あなたはフィレンツェ人たちのたいへんな志操堅固さを、またそれがこのように作られた共和国を愛するがゆえであることを、間違いなくご存じでしょう。あなたのご主人の志操堅固さは、たとえ偉大極まりないとしても、束の間のモノです。なんとなれば、それは一人の人間の生涯の間しか安定できぬからです。しかし共和国は続くのです。
カヴァルカンティ『フィレンツェの歴史』
共和国は永遠ではなく、いつか命尽きるものだけれど、
それは1個人の寿命よりは永いだろう、というより、永くあるべきだろう。
共和国は、その構成員による力量、不断の努力やコミットメントによって成り立つ[1] が、その構成員の生死そのものには依存しないし、依存しないある種無機的な"システム"であるべきだ(が、構成員を惹きつける魅力は備えていなければならない)。
シーシュポス(Σίσυφος)は独りで岩を支えたけれど、共和国においては"みんなの力"[2] で支える。しかも、その"みんなの力"とは、父が力尽きれば子が肩代わりし、子が離脱すれば孫が参画する類の、出入りはあるが平衡は保つ、そんな力を指している[3] 。そして、"みんなの力"はなるべく匿名であるべきだ。寿命を持つ個人へ依存することは、共和国の維持という面で非常に危険だ…が、実際には避けることはできない。
「個人の力量に依存した存在」と「特定の個人にしてはならない存在」。この矛盾の解消は、『依存の対象が多ければ多いほど、ヒトは自由である』という一見逆説的な心理であり、システム論的には君主国の否定・混合政体論であり、思考論としては共和主義的モラルの共有なのだろう。
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共和主義的モラルで僕がいつも思い出すのは、古代ローマの独裁官キンキナトゥス[4] の故事だ。
まだ、ローマが生まれたての弱々しい都市国家であったとき、強力な蛮族(彼らから見れば)が襲うという出来事があった。それ自体はとくに珍しいことではないが、より事態が深刻であったのは、外交政策の失敗によりアエクイ族、ウォルスキ族という2つの部族による挟撃を受けたことだった。
そこで、ローマ元老院が文字通りの"全権"を委任したのがキンキナトゥス。かれは平和に畑を耕す生活をしていたが、独裁官就任の知らせを受けると軍団を率いて出陣し、瞬く間に蛮族を殲滅した。そして、戦闘が終わるとすぐさま、任期半年の独裁官を辞任した。独裁官の就任期間はたった16日であったという。
# 共和主義的精神=力量のある個人が永続的な"システム"を維持する"匿名な権力"に徹すること
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