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明日もいいクジを引きますように

結局のところ、生きることの意味(≒価値)ってなんだろうと思う。

今のところ分かっているのは、明らかで正しい「生きる」ことのイデアのようなものはないということ。つまり、万人にとって正しい生き方はないこと。

でも、昔のヒトはよく「生きる」ための高速道路をたくさん造ってくれているということ。でも、それは設計が古かったり、老朽化もするわけで、自分で作らなきゃいけない部分も多いということ。でも、古いものでも大事にメンテナンスをすれば、次のヒトも気持ちよく使えること。そして、たまには下道を走ることも愉しいということ。

大事なのは、どこを走るか・どこへ走るかじゃなくて、走っていることにある。バイクのツーリングに似てるかもね。できたら、めんどくさくない程度のルールと、気持ちよく走るためのマナーなんてのもあれば、みんなで楽しく走ることができる。

たいそう昔に読んだので、どの本で読んだのかはまったく忘れた。けれど、その本によると、「生きる」ことはでっかいクジを引く行為に例えられるんだそうだ。それには、とてもとてもたくさんのクジがあって、一瞬ごとに1本ずつクジを引いてゆく。そして、それにはたった1本だけ「死」のクジが混じっていて、あるときそれを引いて、突然死ぬ。

クジは有限である。ある日突然「死」を引くのも不条理だけど、引けるクジがだんだん減っていき、指で数えられるほどになるのもさぞ恐ろしかろう。僕はこれを読んだとき、もっと真面目に生きなければならないなと思った。明日から。

または、これもたいそう昔に読んだのだけど、その本の名前は覚えている。小中学校の頃に流行ったラノベで『フォーチュン・クエスト』というのがあるのだが[1] 、それで「すべてが忘れられなくなるスープ」の話があったはず。手元にないので間違っているかもしれないが、そこに出てくる"賢者"(すべて覚えている!)がこういうのだ。「私たちは、年老いるにつれて、死とだんだん友達になっていかなければならないのだ」と。

賢者はどうでもいい記憶に埋もれて、大事なことが思い出せない。というか、記憶がすべてフラットに保存されていてすべてを思い出せるが、"なにが大事だったのか"が分からない。そんな賢者の悩みと"死と友達になること"がどうつながるのか、今ではさっぱり忘れてしまったのだけど、"忘れられるようになりたい"という賢者でも、すべてを失う「死」は怖いのかもしれない。忘れることと、すべてなくなることは違う。

#これら3つはぜんぜん脈絡がないけれど、自分のなかではつながっている気がする。まだぜんぜんわかんねーんだけど。何かふと思ったので書いただけ。

  1. 危険がアブないデシ! (*)

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