- 2009-11-11 (水) 6:28
- 独り言
Management of Complexity on Flickr – Photo Sharing!
とあるブログでこんな文言を目にした。(強調は筆者による)
複雑な問題、すなわちいろんな要素が絡み合った問題というのは、それ自体が集積された問題の山であって、当然のことながら解題、山のようになった問題をバラし、解決可能なサイズにする、という作業が本来は発生する。細かくなって個別には解決できるようになった問題を、相互に見比べ、優先順位の高い順番に解決していくというのが、本来の問題解決のパターンである。
「複雑な問題」というのは、単に整理されていない問題だから ~続・池田信夫論: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man’s Blog
このエントリーの主眼は池田信夫氏批判で、そのこと自体については僕は意見を持たない。けれど、「『複雑な問題』というのは、単に整理されていない問題だから」という言説には疑問を持ちます。「複雑な問題」には大きく分けて二つのモノが存在するからです。
複雑な<complicated>問題: 単にこんがらがった問題。絡まった糸のように、根気さえあればバラバラにしてスッキリできる問題。
複雑な<complex>問題: 複合的な問題。個々の要素が相互影響的で、バラバラにできない問題。
数学の連立方程式だったらともかく、世の中の大半の問題は後者にあたります。複雑な系<Complex System>では、要素だけでなく、その歴史的な連鎖課程が意味を持ちます。そして、解決には当該システムに依存する上部システム、システムの下部システム・サブシステムとの連関も十分考慮に入れなければならない。
複雑系は、"要素還元主義"が通用しない世界です。
人間は酸素65%、炭素18%、水素10%などからできているそうですが、それらの材料を用意するだけで人間が勝手にできることはありません。眼杯が表皮を水晶体となさしめ、水晶体が表皮表層を角膜に誘導するといった相互依存的な発生プロセスの歴史こそが、生き物としての人間を形成しています。そのプロセスの一つ一つは欠落や交換が(ほとんど)許されません。
そんな感じで、電波問題やリフレ政策といった政治・経済的な問題も複雑系と見なせるでしょう。
これらはそれ自体が人間生活における基礎的なシステムであり、多くの人が依存しており、それに左右されてしまいます[1] 。政治・経済が変わること、変えることはそれ自体がみんなの関心事――つまり政治的問題です。なので、そもそも"山のようになった問題をバラし、解決可能なサイズにする、という作業"それ自体が政治的な問題<Complex Problem>になってしまう。
つまり、「問題をバラせ」「個別化して順々に解決すればいい」は実に安易な提案で、自分を複雑系に含まれない第三者にしてしまうことで複雑性に取り組む人の行為を劇場化・劇画化する行為でもあります。実際に「バラす」立場になれば、たちまちリングでどつきあいに巻き込まれてしまうでしょう。
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こういう問題の解決の際は、問題解体のプロセスは脳内で完結させ、核となるシステムを特定し、破壊・改善・抑制することです。
人体で言えば、ガンを直すためにわざわざ人間を細切れに切り刻んだりはしません。検査で病巣を特定して体全体を痛めるのを厭わず駆除するか、そもそもガンにかからない体に組み替える[2] か、ガンを抑制するメソッドやサブシステムを導入するでしょう。"利権という問題があるという前提" ≒ 病巣があるハズでそれをピンポイントに手当すればよいという前提であり、Complex なシステム全体そのものは悪くない・変えられないというスタンスから来ている…と僕は解釈しています。
# ただ、元エントリとの本題とはそれているし、"解決してしまってはそれに取り組んでいる人達は蓄積した知識を転用することが困難になり、存在意義を失う"という視点や、"ある種の御用学者2.0的なポジション"(センセーショナルの起爆剤?)という見方は興味深いかな?
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