- 2009-12-09 (水) 23:20
- 独り言
ここに簡単な図がある。時間(=費やした労力)とその成果の相関関係をテキトーにあたりをつけて書いた図だ。すべてに当てはまるわけではない。が、まぁ、たいていの場合においてはたいして間違ってはいないはず。
仕事が1つしかなく、すべての時間を一つの仕事に投入できるとき、仕事の評価は成果のみに与えられる。
こういった場合、途中から成果/投下労働量の比率が著しく落ちても、ただただ時間を重ねて、成果を上積みしていくことだけが大事だ。それは「職人」的な世界で、忍耐・計算高くないこと・技の追究などの倫理が求められるだろう。
しかし、複数の仕事を抱えていて、一つの仕事に投入できる時間が限られているとき、仕事の評価というのは変わってくる。
その場合は、成果/投下労働の最大値が得られる Max(R/t) で仕事を止めて、ほかの労働(図=仕事はたくさんある!)をやるべきだ。それ以上は、すべての仕事がとりあえず最大限効率よくこなせたのち、行えばよい。
もちろん、仕事によって最初に挙げた成果-投下労働のグラフ(S)形状は異なってくる。なので、どこまで時間を投入すれば一番効率が良いかは異なってくるが、それぞれの仕事 Sn (n=1,2,…) において極大値 Sn-Max(t) をなるべく多く満たすように時間を配分していかなくてはならない。
つまり、図で言えば、より多くの図において、"斜線の角度をより多く稼ぐ"のが重要になる。それ以上のクオリティを求めるのは、すべての図において、角度の最大値をクリアしてからだ。ただし、図は目には見えない。(職人とは違う意味での)勘と経験から"直観"しなければならない。状況によっても変化する。そこも結構難しいのだけど。
そんなマルチな仕事を抱える場合は、きっと「職人」とは違う倫理が求められるだろう。要領よく・本質を把握せよ(成果-投下労働のグラフの形状を"直観"せよ)・前もって段取りを考えろ・計算高くあれ・時間は有限だと心得よ・効率よくこなせという倫理が肯定されるはずだ。
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後者を何と呼んでいいのか僕には思いつかないけれど、仮に「多技能者」とでも呼ぶ。よっぽどの新人以外のすべてのサラリーマン(正規労働者)はここに含まれるのではないだろうか。しかも、職階が上がるにつれて"仕事"の量は増えていき、より次元の高い行動設計が重要になっていくはずだ。
「職人(≒単技能者)」と「多技能者」は住む世界が違う。
よって、倫理も違うし、報酬の在り方、社会保障の在り方すらも変わるかもしれない。
多くのサラリーマンは、会社に入ったときは「職人」だ。見た目は色々なことをしていても、ミクロで見ればシングル・タスクで、与えられたことを順番にこなせばいつかはゴールが来る。ゴールまでひたすら時間を積み上げて、"頑張れ"ばいい。しかし、サラリーマンとしてステップアップするとき、いつまでも「単技能者」の考えではいつか行きづまる。刀鍛冶や陶芸家なら、「職人」のままでもいいだろう。しかし、そうでなければ仕事に対する評価の軸を、状況に合わせて変えていかなければならないはずだ。
頑張ったのに報われない…という人は、そこで間違っている場合がある。
頑張って褒められるのは小学生までだ。「職人」ですら、本当に褒められるのは頑張りを重ねて前人未到の域にまで達したひとだけだ。
普通の人間は、そこまで頑張る才能すら持ち合わせていない。
ならば、ちょっと目線を変えて、"頑張る"にはどう頑張ればよいか、というメタな思考を取り入れて、計算高く・効率よくやっていかなければならないのではないか。
※経済学をかじってる人なら、これが「限界」の概念を回りくどく説明しているだけとわかるはずだ。
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