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株式会社は株主のもの。

最近、「株式会社は誰のものか?」という話題を耳にする。これは当然、株主のものだけど、そうではないという人もいる。

僕が思うに、「株式会社は必ずしも株主のものでない」と主張する人は、創業の大変さ・リスクを過小評価しているように思う。創業の利益の大きさは、創業の難しさの表れだ。仮に、手元になにがしかのお金があっても、それを起業に使うと決意する覚悟を決め、さらにそれを成功させるまでに至るには大変な困難が伴う。普通の人ならば銀行に預けておく方を選択するだろう。実際、そちらの方が正しく、創業者というのは一種のキチガイなのだ[1] 。

ましてや、創業のモーメントでは労働基準法も何もない。寝ないで働き、頭を下げて金をかき集め、それでも報われるのはほんの一握り。当然、そのモーメントに参加した人間は、(運よく成功すれば)それなりの報酬を受けてしかるべきだと思う。でなければ、だれも社会的な死を覚悟してまで、創業しようとは思わないだろう。そして、創業者に資本を提供した出資者も、その恩恵に与れなければ自分のお金をわざわざドブに捨てるようなまねはしないだろう。

はっきり言ってしまえば、「会社」という存在にとって取り替えがきかないのは、創業者(とその助力者・出資者)だけだ。あとから参加した従業員なぞ(私も含めて)、いくらでも取り替えがきく。そういう人間があとから会社の所有権とやらを主張しても、それは道理が通らないと思う。

もちろん、会社は従業員なしでは存続しえないし、会社の規模が大きくなるほど消費者(≒社会)に対する責任も増大する。会社は社会のネットワークの上に漂い、生かされている。だから、創業者や出資者が「会社」を好きなようにしていいわけではないし、できるものではない。その自然な力の拮抗関係が、「会社」を健全なあり方へ導く。ステイクホルダーが会社(の所有)に及ぼせる影響なぞ、これで十分じゃないのかな。そこへ、根拠のない正義感を振りかざして無駄な力を加えるなら、取り返しのつかないことが起こるだろう。

会社を所有したければ、株を買えばいいのだ。

昔、唐太宗が「創業は成り易く、守成は成り難し」といったが、それはウソだ。ただ、唐という国が創業のフェイズから守成のフェイズに切り替わるにあたって、家臣のマインドを転換させ、ついでに中途から参加した「守成の臣」をおだてて働かせるには、とてもうまい言い方だったと思う。現に、当の太宗こそが、創業でもっとも働かされて一番苦労したはずなのだw

  1. だから、彼らが書く本をそのまま鵜呑みにしても、一般人には何も良いことはない。無理に真似してもやけどをするのがオチだ (*)

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