- 2010-01-17 (日) 22:51
- 独り言
[メモ] 『商業試論』 第1部 ― 君主と企業者 – www.be-styles.jp
http://www.be-styles.jp/archives/3980
復習として、『商業試論』の経済モデルには3種類のプレイヤーがいたことを思い出す。もっと大まかに言えば2種類になると思うのだけど。
- 企業者: 自分で労働し、リスクを管理し、自由に活動する「生計の不確かな人」。
- 借地農: 農村の企業者。地代を納める義務を持つが、翌年の収穫のための投資、消費を自分でコントロールする人。
- 商工業者: 都市の企業者。主に農作物を買い、ぜいたく品を供給する。 - 地主: 地代を徴収し、消費する。その消費率(農作物:ぜいたく品)が、社会の価値分配を定める。
カンティヨンのモデルでは、土地から労働を媒介して湧き上った価値が、借地農自身の糧になるほか、地主や都市の企業家へ染み渡ってゆく。その過程で「貨幣」が用いられるけれど、それは価値の流れを媒介するだけだ。農村での労働は価値をマテリアライズするけれど、都市での労働は何も"付け加えたりはしない"。土地から湧き出た価値が、貨幣を交えた交換ゲームを経た、全プレーヤーに染み渡りいきわたればそこで終わり。1万年これを繰り返そうと、1年に一巡して終わり。
そのなかで、地主は最大のキーパーソンだ。ここでは、全価値の1/3が彼らを経由して社会へ「分配される」。これは実に、貨幣化される富のうちでは2/3を占める。それを必需品とぜいたく品に振り分ける。
都市の企業家は切磋琢磨して、地主の歓心を買うだろう。そうすれば、地主はぜいたく品により多くの貨幣を割くかもしれない。そうすれば、価値配分のバランスがかわって、商工業者へ多く配分されるだろう。すると、全体の価値は一定だから、借地農へ配分される価値は少なくなるだろう。借地農は投資ができず、ときに"減り"、次のターンでより少ない必需品しか生まない。そうすれば地主はぜいたく品よりも必需品を優先して買うだろう。つぎに影響を受けるのは都市の企業家だ。
このように、地主が支点となって価値の還流バランスが小刻みに揺れるが、全体的には何も変わらない静態的モデルということらしい。
しかし、都市の労働は、本当に何も"付加"しないのだろうか。また、カンティヨンのモデルでは企業家は登場するけれど、労働者(賃労働者=地主とは違う意味で"生計の確かな人")は登場しない。
—
ちょっと一足飛びになるけれど、マルクスの世界では蓄積された資本と、賃労働者が主役だ。そしてコアは労働価値説になるのだけど、カンティヨンの「内在価値説」がある意味先駆となっているのはちょっと面白いかなと思う。
もう一回読もうかなと思うので、その前のまとめ。
~・~・~
経済の起点は、太陽の恵み、土地・自然からの採取だと思う。つぎに蓄積された機械産業資本、偶然をなるべく排除するネットワークシステム、人間の労働といったものが乗っかってると思うんだけど…結局今の僕らって、地球が何千万年と貯めてきた化石燃料を食い尽くすことで見かけだけの「経済成長」してきたのかなぁ。
労働すればお金はもらえるけど、それはほんとにあたりまえのことと思っていていいのだろうか。とりあえず必要とされているからお金がもらえるんだろうけれど。じゃぁ、お金、価値ってなんなんだろう。できるのは、最初に得たものをなるべく損傷せずに使うことだけ?それとも、僕らは労働で何かを無から生んでいる、付け加えている?わかんないね。

