- 2010-02-17 (水) 9:10
- Review
しょっぱなから痛快!
さて、本書で主張する政治・経済観を一括りにする呼称を決めておくと、何かと便利ではないかと思う。適切なのは「自由主義(liberalism)」である。ところが極めて遺憾なことに、この言葉はアメリカでは、19世紀の大陸欧州における意味とはかなり違ってしまっている。これはシュンペーターが言うように『自由競争経済の反対論者は、心ならずもこの経済体制に最高の賛辞を捧げる行為をした。すなわち、自由という冠を自分たちにこそふさわしいと考えて横取りした』からである。
思想の勉強をし始めてからずっと不思議に思っていたのはこの点。いつの間にリベラルは自由(リベラル)じゃなくなったのだろう。自由を掲げつつ、国家に依存しよう依存しようとするのだろうか。平等主義とでも改名すれば、格好いいしすっきりするのに。
自由という言葉がこのように変質した結果、かつては自由主義とされていた考え方が、今では保守主義と呼ばれている。このすり替えは許しがたい。
まだ「(新)保守主義」といわれるだけいいじゃないか。つまりは、それだけのボリュームが存在するということだ。日本においては保守主義とはつまり伝統主義にすぎず、一方で自由主義者は絶滅危惧種だ。そして、仮にいたとしてもそれぞれが「自己責任論者」と呼ばれるのが関の山なのだから。
"政府が自由を脅かすのを防ぎつつ、政府という有力な道具から望ましい成果を引き出すにはどのようにすればよいのだろうか"。フリードマンによると、合衆国の憲法にはそのための二つの原則が組み込まれているという。
- 政府の役割に制限を設ける
- 政府権力の分散、競争資本主義による経済と政治の分離
ただし、この原則はたびたび踏みにじられてきたのだった。彼は、具体的に政府がやらざるべき仕事を以下のように挙げる。
- 農産物の買い取り価格保証制度
- 輸入関税または輸出制限(原油輸入割当、砂糖輸出割り当て)
- 産出規制(農作物の作付面積制限など)
- 家賃統制、全面的な物価・賃金統制
- 法定の最低賃金や価格上限
- 細部にわたる産業規制
- ラジオとテレビの規制
- 現行の社会保障制度、とくに老齢・退職金制度
- 事業・職業免許制度
- いわゆる公営住宅および、住宅建設を奨励する制度
- 平時の徴兵制
- 国立公園
- 営利目的での郵便事業の法的禁止
- 公有公営の有料道路
このうち、実際に廃止されたのは「平時の徴兵制度」のみだ。
フリードマンの考え方はとても分かりやすい。経済活動をいわばゲームにたとえ、万人に対して平等なルールを要求する。そのルールは本質的でシンプル、かつなるべく少なく、みだりに変更されない。フリードマンの主張として有名なものに、 k%ルールや負の所得税といったものも挙げられるが、それもその趣旨に即したものでまったくブレがない。もし日本に「フリードマン党」のような理念のしっかりした共産・社民党以外の政党があれば、僕は間違いなくそれに入れるだろうに。
とはいえ、読んでいてそれでいいのかな、と思うところがないわけではない。
"政府が自由を脅かすのを防ぎつつ、政府という有力な道具から望ましい成果を引き出すにはどのようにすればよいのだろうか"。この文言にも表れているように、とかく政府が外生的で個人とは切り離されて自立した変数として扱われている。
しかし、実際の政府とはもっと肉々しいもので、"政府という有力な道具から望ましい成果を引き出す"ことばかりに執心した、いわば欲得や不安からくる「僕ら自身のエゴ」と直結しているのだと思う。
フリードマンの視点は徹底して第三者的だけど、実際の行動は第三者的ではありえない。
だから、実際に行おうとすると「自由放任で本当にうまくいくのか」という不安や、「今のままの方がオイシイから変えたくない」「変えると損になるからいやだ」という欲得によって、とん挫してしまうのがオチかもしれない。
仮に実行されたとしても、理論上はうまくいくことがそのようなエゴにより破たんするかもしれない。習慣のためなら非合理的なことでも平気でやるのが人間。挙げられた14個の"一般非合理的"な慣習・制度はいみじくもそれを物語っていると思う。
とはいえ、このような考えのコアをもってなお惑うか、単にエゴに振り回されるかでは本質的な違いがあるのは確か。今一度、自由主義経済の意義を見直せたのは収穫だったと思う。これでまた、「肉々しい公共」という難問に立ち向かえる。


