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「今日日の若い者は…」

  • 2010-02-20 (土) 17:13
  • Diary

世の中ってのは、年々高度かつ複雑になり、求められるものが過大になる。そりゃ、物質的には可能性が広まり、快楽や堕落の幅と深さも"過大"になりがちだ。けれど、100年前、50年前、20年前、そして今を比べるとき、まっとうに生きるだけでも精神にかかる負荷は増える。

1つには、「ラチェット効果」。ラチェットとは工具に一種で、ボルトなどを締める・緩める道具だ。歯止め機構がついているので、時計回しに締めるときは逆回転させても緩まない。転じて、"上がるけど下がらない"現象を例えるときに使ったりする

一般的には消費に関するラチェット効果が論じられることも多いが、"成果の測定"でも広範に見られる。一度頑張ると、逆にそれで評価の基準があがり、前よりも一層頑張らないと以前よりも評価されないことはないだろうか。それはまさしく「ラチェット効果」だ。

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一般的に、後の世代は前の世代を凌駕しない限り評価されない。

上の図はは駒大の箱根駅伝のタイムらしいけれど、最近こそ低迷している[1] が着実にタイムは短縮されてきたことがわかる。しかも、その裏で競技人口は着実に減ってきているにも関わらず。

ただし、こんなこと評価する人はほとんどいなくて、区間新記録や優勝といったモノでしか業績は評価されない。逆にいかに過去の選手が偉大でも、タイムだけ見れば現在の2流選手並みだったりするものだ。

つまり、評価は絶対量としての努力ではなく、いかに(以前の世代と比べて)インパクトのある結果を残すかにかかっている。年々、精神的負荷も高まろうというものだ。しかし、これは先人がクリアしてきたことでもあるので、それほど現役世代特有というわけでもない。

2つ目に、「少子高齢化」。結果を期待する人間は"増えている"が、それにこたえる人間は"減っている"。もしかしたらほんとに現役世代の能力が劣っているのかもしれない。しかし、それ以上に絶対数が減っていると考えたほうがいい。彼我を比べると史上まれにみる差が、厳然としてある。

期待に応える際の精神的負荷≒(期待する人間・期待の量)÷(期待を背負う人間)

で単純に表せるとするならば、現代の人間の負荷は過去の人間が味わった以上のものだと思う。そして、これからそれはどんどん強度が高まっていく。

それを思えば、「ゆとり世代」なぞかわいそうなもんだ。史上初めて、ラチェット効果と少子高齢化効果の両方を受けるのだから。

「今日日の若いもんは…」

古代エジプトから言い古されているというこの言葉。僕はまだまだ言われる立場だけど、老いても次世代には継承したくないな、と最近ちょっと思う。

実際僕が見る限り、ほんとに立派な先達の人がこういうの言ったのを聞いた試しがない。逆に「今は今でキビしい事情がある」「世の中は変わる」とかフォローされて、恐縮してしまう、頑張らねばと思ってしまうぐらい。言わねばいけないことは言えばいいけど、それぞれに特有の事情があることも多少は察してあげてもイイよな。

なんつーか、お互いキツく縛りあうんじゃなくて、なんというか、気楽にのびのびいきたいよね、みたいな。

  1. ぶっちゃけ人間の肉体的限界に近いんじゃないか? (*)

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