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ペティー、カンティロン、ケネー。

最初はマル経用語に戸惑うかもしれない。でも、いろいろと得るところはあった。僕は付箋とかは使わず、すぐにページを折ってしまうくせがあるのだけれど、この本は折り目だらけになってしまって困った。

一番はやっぱり、ケネーの「原表」がカンティロンの経済観を引き継いでるというところ。あれって昔も読んだけれど、正直チンプンカンプンだった。けれど、そういう視点で見れば、スッキリ理解できるとおもう。ただ、これ以上ケネーに寄り道する気もないのだけれど。

個人的に思うのだが、経済学というのは時代時代のフィギュアを作るに等しい。多少デフォルメしながらも、パッと見はそれらしく見えるような、時代の模型を作る。つまり、古い経済学は古い時代をコピーしていて、新しい経済学は新しい時代をコピーしている。そして、古い時代が新しい時代に塗り替えられるように、古い経済学は新しい経済学にとって代わられる。

だけど、古い時代は、まったく新しい時代へごっそり入れ替えられるわけではない。確かにプレゼンスは失ってしまったけれど、失われることなくどこかで息づいている。地主の時代は終わっても、世に地主が死に絶えることがないように。

故に、古い経済学が間違っていると指摘するのは有用でも、間違っていると否定するのは決して有用ではない。土地価値説、労働価値説は間違っているのだろうか? 一般的に適応できないという点では、正しくはない。けれど、いろんな価値基準の一つとしては、未だに通用している部分がある。終わっているけれど、死に絶えてはいない。

近代経済学は"価値"について語るのをやめ、"価格"だけを論ずることにした。それはそれで実り多かったけれど、それゆえに失ったモノも大きいかなぁと思う。本書が俎上に載せているのは、まだナイーブだった頃の経済学だ。

モノのなかには"価値"があらかじめ内包されていて、それが交換過程において引き出されるというのは、なんかプラトンとかアリストテレスチックだと思う。イデアとかエイドスとか。

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