すでに持っているのだけど、新潮文庫から3分冊で出たので改めて購入した。中学時代からなんども読んでいたので、いい加減ボロくもなっていた。ナナミばあさんの充実した老後の足しになれば、これ以上の喜びはない。
初めてナナミばあさんの小説を読んだのは、弟1号の誕生日プレゼントに『コンスタンティノープルの陥落』を買ってやった時だった。興味はあったけど、愛読する著者を増やすことには過度に慎重だった僕は、弟に買い与えて反応を見ようと思ったのだ。結局、弟1号はあんまり読まなかったみたいだけど、それでは、と読み始めた僕がハマってしまったのだから困ってしまう。ミイラを取らせるつもりが、自分がミイラ取りになって、ミイラになってしまったのだ。
ナナミばあさんの文体は、僕から言わせてもらえば、あまりイケてないと思う。固いし、回りくどいし、なにより入れ込みすぎだと思う。だけど、どの題材も魅力的て、ヴィヴィッドだ。本人が対称を"愛してしまっている"のだから、仕方ない。
だいたい高校の一時期、外交官になりたいなぁ…だなんて思ってしまったのも、ほとんどすべてばあさんのせいだ。イキってキッシンジャーの『外交』を読んでみたり、みんなが日本史を選択するところをわざわざ世界史を選んでみたり、教養を身につけねばなるまいと読み慣れぬ哲学書を手にとったりもしてしまった。それぐらい、マキァヴェッリにしろヴェネツィアの男たちにしろ、外交の場に立つ彼らは格好良かったのだ。いつかそんな知性豊富で、運命と戦う力量を持つ人間になりたいと願ったものだ。
しかし、それもこれも昔の話。京都でゴロゴロする日々、東京でキリキリする日々の中で、そんなことも忘れてしまった。それでも、なんとなく忘れられないのは善く生きることってなんだろう、ドコを変えてナニを守るのだろう、運命にうちかつにはどうすればいいのだろう、皆にとって理想的な組織ってなんだろうといった、ばあさんの本を読む上でふと思ったことだった。
それだけは、いつも結構真面目。学生のころに本流から外れて組織の経済学や進化経済学を学んだのだって、今になって共和主義について興味をもつのだってそれの延長線なのだ。今回、この本をもう一度手にとって、それが分かった気がする。
僕は、ばあさんは僕が言う意味で共和主義者だと思う。ばあさんの用語では"真の保守"に当たるのかな。なんせ『サイレント・マイノリティ』だって読んだのは15年前だw
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