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[メモ] 資本主義的精神 ≒ 企業者間の軍拡競争(?

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産業革命、およびそれを支えた資本主義的精神とはどのように興ったのか?

歴史的な事象の多くは、おそらく単なる偶然をきっかけとしている。けれど、前もって"お膳立て"が整っていなければ、"偶然"は"歴史的出来事"として実を結ばない。偶然は偶然として、お膳立ての方にも目を向けてみることは悪くはない。

さて、資本主義的精神(≒産業革命の精神的"お膳立て")の話になると必ず出てくるのが『プロ倫』。"プロテスタントの世俗内禁欲が資本主義の「精神」に適合性を持っていた"という物語だ。それはそれで一定の説得力をもつけれど、なんだかなーという気もする。禁欲は貯蓄、ひいては資本につながるし、儲ければ儲けるほど神様の救いの革新を得られるという説も確かにあった。けれど、「プロテスタント?なにそれ」的な国民だって、時代こそ遅れたとはいえちゃんと資本主義してるし、初期経済学のメッカ・フランスはカトリックの国だった。

個人的に一押しなのは、以下の説だ。

封建社会において、地主(≒貴族)は唯一の剰余取得者(「真の地代」)である。地主は働かないが、お腹いっぱい食べてなお余りある所得を得ている
その他の人間は、自分を再生産するに足るギリギリ、もしくはちょっとした利潤を足した分だけの所得を得るに過ぎない。

ところで、所得 = 消費 + 投資 であり、所得をより増大させようとすれば、投資へ振り分ける所得を増やさなければならない。
しかし、封建時代において、地主にはそのインセンティブはない。なぜなら、それをしなくても生きていけるから。確かに、まれに才能と気概を持つ人物がそれを行うこともあったが、それが何代も続くことは稀だった。

一方、その間にも、"企業者"は少ない利潤を蓄積して、投資へ回すだろう。なぜなら、彼らは地主より相対的に貧しく、それゆえ地主へのあこがれが強いからだ。"企業者"は最初、「真の地代」のおこぼれを預かりながら、ほそぼそと事業を延命させる存在に過ぎない。が、それでも"企業者"には"賃労働者"と違い、幾許かの利潤を手にし、それを蓄積することができる[1] 。やがて、それは大きく成長し地主階級を凌駕するだろう。

"企業者"は、やがて"地主"を凌駕する。しかし、"企業者"は決して利殖をやめない。なぜならば、利殖競争を降りることが、すなわち破滅を意味するからだ。「止まっていようと思えば、全力で走らなきゃいけないんだ[2] 」。

かくして、経済の表舞台は、のんきな有閑階級の気まぐれから、熾烈な企業者の軍拡戦争へと移行したのであります。

この説は少し気に入ったので、中世の都市なんかに興味が湧いてきた。和洋問わず。今度本を漁ってみよう。

これに加え、禁欲より富裕を肯定するマンデヴィル的な思想、啓蒙思想なんかも、カルヴィにズムにもおとらず、産業革命への流れを援護射撃したと言えると思う。それについてと、「真の地代」については、また今度メモる。

  1. むしろ、それを行うか行わないかが、"企業者"と"賃労働者"を分けているのかもしれない (*)
  2. http://ja.wikipedia.org/wiki/赤の女王仮説 (*)
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