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2010-02-12

ケインズ vs ハイエク

なんか前々から話題だったけど、こういうものに対しては、皮相な印象だけが盛り込まれてるんだろうな、と初めからあまり興味はなかった。英語のヒアリングも苦手だしね。歌ならなおさら(最近は日本語の歌詞も聞き取れないPOPが多い!)。

しかし、とうとう日本語字幕までついたみたいだ。字幕付きはありがたいことです(;;
さっそく見てみました。第一印象は…確かに軽薄な面もあったけど、実際に見てみると手が込んでるなぁーといった感じ。

アメリカでは、二人はこんな印象なのかな。ハイエク、序盤苛められすぎ! 確かに、ハイエクはアメリカとは少し距離があったし、どこでも溶け込めるタイプでもなかったと思うから、今現役ならこんな感じだったかもしれないケド。

一方、ケインズ。『一般理論』は『資本論』の次ぐらいに、"古典"的だ。題名は誰でも知っているが、実際には読まれないという点において(その点、ハイエクの方が学生にはちゃんと読まれているんじゃないかなw)。

実際にケインズが今の状況を見て、こんなラップをかますかどうか…については、僕は疑問に思っている。ケインズは理解しやすい部分だけ、拡張されて流布している。ちなみに、僕が大学に入って最初に読んだ古典は『価値と資本』でした。ケインズ読もうかな、と先輩に相談したら、こっちが先じゃね?と言われたので!

なんというか、アメリカでは経済がより生活に近いんだな。ローマでは食卓で法律の話をしたというけれど、知性あるアメリカ人は経済を話題にするのだろう。日本では…ゴルフか野球が関の山かな。

途中、牛だの熊だのが出てくるのは、金融用語のブル(強気、株価が上がる)とベア(弱気、株価が下がる)を掛けている。あと、ネームプレートみた? いろいろ細かいところも面白いよ。

社会は人を自由にする

僕は社会主義者ではなく、自由主義者で、それはつまり個人主義ということでもある。けれど、「社会」の重要性はちゃんとわきまえているつもりだ。

さて、どこぞで

「無縁のままでも安心して死ねる社会を」

なんて言説をみた。一見素晴らしい意見に見えるけれど、実はこれ、フツーに考えておかしくないか。

社会とは「縁(≒つながり)」に他ならない。無縁とは、社会との繋がりを持たない状態だ。社会と"無縁"のまま死ぬのはよいが、その後始末は社会がやらなければいけないらしい。縁も無いの彼が安心して死ねるように。なんのこっちゃ、さっぱりわからん。孤島で自由気ままなロビンソン・クルーソーが、お墓の心配でもするのですかね。

社会は個人を自由にする。

ここでいう自由とは、可能性に近い[1] 。確かに、社会には個人の自由を限定して窮屈にする側面がある。けれど、僕たちが日ごろ享受している自由のほとんどすべては、社会が、とくに資本主義社会がもたらしてくれたものだ。

たとえば、お金を出せばほとんどなんでも買える。これは社会のおかげだ。
「お金のために働かなくてはいけないじゃないか」
「お金に縛られているじゃないか」
という人もいるだろう。けれど、そういう人に限ってロビンソン・クルーソーになる自由[2] を行使しないのは、お金に縛られた社会の方が、ロビンソン・クルーソーの孤島よりよっぽど自由に暮らせるからに違いない。

自分で採って獲って作って造る食う寝る、それだけで一日が終わってしまう生活なんて、僕はイヤだ。面倒な"縁"に繋がれてシブシブ働くのだとしても、週休二日をいただいてゴロゴロできる方がよっぽどいい。みんなだってそう思っているはず。

自由主義者・個人主義者は、社会をとかく機械的なものとみなしたり、そうあるべきだと思いがちだ。社会とは誰に対しても平等な制度で、個人の運命に干渉してはならない。僕だって、基本的にそう考える。死に際にボタンを押せば、"文化的最低限度の"葬式を挙げてもらえる権利を得られる、そんな社会も悪くない。

けれど、その一方で決して"縁"からは自由になることはできない。僕たちは、"縁"によって自由になったのだから。"縁"は機械的・自立的な存在ではありえない。どんなに優れたシステムを組み上げても、社会からは人間的な部分を排除しきれない。そして、人間は無縁な人間[3] のためにタダで働いたりしない。安心葬式システムには、税金がかかる。僕はそんな税金払うぐらいなら、今いる家族友人のために使うよ。

現在的な「自由」とは、「社会という怪物」の鱗に攀じ、羽を戴いて初めて得られるものだ。真の自由主義者ならば、それを忘れてはいけないと思う。そうでなければ、単なる「自己中心主義」なのではないかな。

  1. 潜在能力(capability)といった方がわかりよいかもしれない (*)
  2. みんなその自由を持っている! (*)
  3. 無縁な人間は、「存在を知られること」すらないから無縁なのである。よって、ボランティアでも助けられない。 (*)

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