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共和主義
〈共和国〉はグローバル化を超えられるか
- 2010-03-09 (火)
- Review
シュヴェヌマン氏を招いた公開討論集+論文といった体裁の新書。シュヴェヌマン氏はフランス第5共和制を代表する政治家で、その気骨からか首相・大統領こそ経験することはなかったものの、思想と行動が常に一致したフランス政治に欠くべからざる「うるさいオヤジ」であるみたい。フランスと言う国は苦手(第二外国語で痛い目にあった!)なのだけど、"政治家がすなわち政治思想家"だったりする点は、日本なぞ到底足元にも及ばないと感じる。
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「公共なるもの」とハウ
「公共なるもの」 の続き。目に見える・見えないを問わず、公共なるものがたくさん蓄積された社会は豊かなんじゃないかなーというお話。
たとえば、「情けは人のためならず」という。
人に親切にすることは、回りまわって自分に帰ってくるのであり、あなた自身のためなのですよ――という意味だと思うのだけど、こういう"情け"が多く蓄積された社会は良い社会だろう。
仮に、僕が電車で老人に席を譲るとする。老人に情けを贈与したわけだ。老人はきっと、別の形で僕のような若者に親切にしてくれるに違いない。それはたぶん僕直接にはないだろうけれど、その若者はきっと他の人にも"情け"を譲与するんじゃないだろうか。つまり…
上の漸化式のような、最初に誰かが無償で贈与した"情け"(x)を、そのまま・無限に伝えていける構造(a(n)=a(n-1))があれば、その"情け"は贈与者の寿命や肉体的制限を乗り越えて、永遠に続いていくはずだ。
このような仕組みを、「ハウ」と表現して定式化したのがマオリ族のこの思想のように思う。
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「公共なるもの」
- 2010-03-06 (土)
- ぽえむ
実は、共和主義を勉強しつつも 、"res publica(公共なるもの)"の概念が「肉」として付いたかといえば、正直心もとない。けれど、人間が社会的に生きる上で「公共なるもの」「共通項」を多く持っている方が豊かであるらしい、というのは分かりかけているような気がする。
バラバラなものを共通化するというのは、より多くのモノを繋げていくのに必要なことだ。始皇帝は万人に[1] 等しく適用される"法"で中国を初めて統一した。次いで行ったのは、度量衡の統一、文字の統一、道幅の統一だった。彼の作った中国は以後の「中国」という概念のコアとなった。
物質・制度面だけではない。常識、儀礼、倫理、価値観、習慣などを等しくすることは、すなわち信用であり、人々をつなげる基盤になっている。「共通である」と感じられること、それ自体が人が繋がるハードルを大いに下げてくれる。最近では、ヤフオクや海外のWebサイトで買い物するときぐらいしか実感しなくなったが。
そういう「共通なるもの」を積み重ねていくことで、より多くの人、財やサービス、すなわち「可能性」と定常的に[2] 接続出来ている状態が、文明なのだなと思う。
社会的な人間は、ロビンソン・クルーソーよりも(原初的な)自由が制限されている。
けれど、人と繋がることによって「可能性」を増していて、その意味ではロビンソン・クルーソーなんかよりよっぽど自由だ。その基盤となっているものが"res publica"であり、それは共通なもの・公共なものの積み重ねで、アタリマエに利用されているけれど実はアタリマエのモノでは決してない、能動的な努力によって維持されている…らしい。
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ルソー 『社会契約論/ジュネーヴ草稿』
- 2010-01-21 (木)
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思ってたより時間かかったかな? 10日ぐらいか…電車での行きかえりしか読まないのに、iPhoneをいじってる時間が多くなったからなぁ。でも、全部読んだ。
本の内容は、共和主義を考えるにあたってとても有意義だった。マキァヴェリアン・モーメント を読む前に触れていれば、とても役に立ったろうにと思うけれど、それはそれ、これはこれ。重要なタームもいっぱい出てきたので、そろそろ Wiki にでもまとめたいかなと思う。
なかでも重要なタームを上げるとするならば、「一般意思」だろうか。社会契約論では「個別意志」「全体意思」「全体意思」という3つの語が出てくる。「個別意志」は分かりやすい。個人個人の意思だ。全体意思は"私的な個別意志"の総和と考えればよい。個人意志の総和は、全体意思の総和を上回る。その差分が「一般意思」であるとルソーは言っているが、これは少しわかりにくい。最大公約数的なものととらえがちだけれどもそれともまた違う。
人民が「十分な情報」を持って「議論を尽くし」、互いに前もって「根回ししていなければ」、わずかな意見の「違い」が多く集まって、そこに一般意思が生まれるのであり、その決議はつねに善いものだろう。(「」は筆者)
自立した個人が、判断の軸を他人にゆだねず自分の側に常にとどめておき、さまざまな意見の相違により自分の意思を彫琢したうえで、それを持ち寄る。そうやって得られる共通項としての(集合的な)意志は、きっと善いものに違いない。
一般意思を単なる意志集合の最大公約数ととらえると、手段を択ばない根回しや、大衆を無知と決め込んだ少数による一般意志の代行(これを密室政治とか呼ぶ)といったことが起こりうる。しかし、ルソーのそれは、決してそのようなものではなく、ポパーでいえばテストに開かれて反証可能性をより多く持ったより正しい意志のようなものだ。単なる結果として"一般"なのではなく、意見の差異によって磨かれるというプロセスを経たうえでの結果、自然とそうなるものとして"一般"(普遍)というのだろう。
それは多分、現実としては期待しにくいと思う。完全情報、個として自立すること、理性を持って議論を尽くして差異を理解し受け入れること、そのどれも難しい。
ただ、個人個人はそのように"ある"ための「自由」は持っているのであり、そうして初めて主権者として市民(シトワヤン)と名乗ることを許されるのではないだろうか。
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カント『永遠平和のために』
- 2010-01-05 (火)
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このシリーズは「古典をもう一度"生きた言葉"で」というスローガンのもとに、現代語で分かりやすく翻訳しなおしたシリーズ。
実は、これまでカントなんか読んだことなかった。カント、岩波文庫、というだけだ頭が痛くなる!どうせ意味不明なことしか書いてないのだろうと。けれど、避けて通れる思想家ではないので、大学時代に解説書は読んだことがある。結局、ちゃんとは理解はできなかったように思う。本書は、『永遠平和のために』を読みたいがために手に取ってみた。これが今の国連を生み出す基礎になったらしい、ということぐらいは僕だって知っていたので。
感想は…意外に面白かった。というか、貪るように読んでしまった。
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『マキャヴェリアン・モーメント』、読了。
- 2009-12-27 (日)
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本書を読み終えて、訳者あとがきまでたどり着くまでに、2か月かかった。10月11月はほとんどこの本にかかりきりだった。にもかかわらず、理解できたかといえばとても心もとない。大学であれば、輪読仲間とかも探せたのだろうけど……
唯一の救いだったのが、どーやら本書を理解できないのが自分の頭のせいではなく、もともと難解であるせいらしいということ。訳者のあとがきでそう書いてあって、あぁ…と肩の荷が下りた。
僕の場合、マキャベリは全部読んでいて、ハリントンはWebでいろいろPDFの論文をコピーして通読、原著は知らないがとりあえず全体像は把握したかな、というレベルだったのだけど、どうやらそれでは全く通用しなかったようだ。途中、アリストテレスの思想から、イギリスの議会史、アメリカの揺籃期について、寄り道に歯噛みしながらも復習せざるを得なかった。
気が付いたら、ブックカバーは破れまくってすでにその責を果たさず、ページは折り目ばかりという状態。『資本論』以来の苦戦だったけど、たまにはいい経験だったかな、と思う。
内容についてはおいおいブログに綴ることがあるかもしれない。というか、どこかWebの隅っこに共和主義に関する個人用のWikiでも立てて自学し、経済(商業)と政治(武力、公共)についてじっくり考えたいという意思が芽生えてきた。日本には共和主義の精神が決定的にかけていると思うので。
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[メモ] 英雄的な立法者と型としての政体論
- 2009-11-01 (日)
- 独り言
人々の間には三種類の統治がある。絶対君主政、貴族政および民主政である。これらすべてにはそれぞれに特有の利点と不都合があり、あなた方の祖先の経験と知恵が、行為を混合して、この王国に(人間の慎慮が考案できる限り)これら三種類すべての利点を与え、どの一つの不都合もなしにするように、この王国を形成したのである。それはバランスが三身分の間でよくとれている限りであり、三種類が共同してそれぞれ固有の水路を走り(両側の牧草地に生気と肥沃さをもたらしながら)、いずれかがどこかで氾濫しても洪水や浸水を引き起こさない限りである。絶対君主政の病気は専制であり、貴族政の病気は党争と分裂、民主政の病気は暴動、暴力、放縦である。君主制の利点は一人の頭のもとに国民を結束させて海外からの侵略と国内の蜂起に抗することである。貴族政の利点は、公共の利益のために国家の最も有能な人々が結合して協議することである。民主政の利点は自由であり、自由がもたらす勇気と勤労である。
『両院の十九箇条への陛下の回答』
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[メモ] 共和主義な発想とは…?(2)
- 2009-10-18 (日)
- 独り言
あなたはフィレンツェ人たちのたいへんな志操堅固さを、またそれがこのように作られた共和国を愛するがゆえであることを、間違いなくご存じでしょう。あなたのご主人の志操堅固さは、たとえ偉大極まりないとしても、束の間のモノです。なんとなれば、それは一人の人間の生涯の間しか安定できぬからです。しかし共和国は続くのです。
カヴァルカンティ『フィレンツェの歴史』
共和国は永遠ではなく、いつか命尽きるものだけれど、
それは1個人の寿命よりは永いだろう、というより、永くあるべきだろう。
共和国は、その構成員による力量、不断の努力やコミットメントによって成り立つ[1] が、その構成員の生死そのものには依存しないし、依存しないある種無機的な"システム"であるべきだ(が、構成員を惹きつける魅力は備えていなければならない)。
- これは往々にして"愛国心"としてあらわれるが、排外主義的な性質は持たない…と思いたい。 (*)
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