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中世ローマ帝国の皇妃たち。
- 2010-05-09 (日)
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スーパー銭湯でゴロゴロする時に読むために、買った。あんまり期待もしておらず、なぜ買ったのかも、その場の雰囲気としか言えない。でも、これはとても面白かった。満点!
本書では100年おきに8人の皇妃が取り上げられている。なにせビザンティン帝国は、マジモンの「千年帝国」ですから!
どの皇妃もイキイキと描かれていて好感度が高い。それでいて「歴史学」から脱線して「小説」に陥らないバランスの良さは完璧。それもこれも、一人一人の人生を描くのと同時に、その時代の流れと帝国の姿をいぶり出していく「歴史学」の手法があればこそだ。
たとえばアテナイスの項では、古代の雰囲気と中世の雰囲気がうまく書き分けられていると思う。また、世界史でもカール戴冠はガッツリ教えられても、同時代を生きた東の女帝エイレーネーについては無視されることが多いはず。両方知って初めて、なんとなく当時の東西教会の関係を把握できた気がする。マルティナの項の史料批判は、ちょっとした推理モノのようで楽しい。巻末に地図がついているのも親切。
だけどやっぱり本書の魅力は、筆者の皇妃たちへの愛ですねー。ちょっと入れ込みすぎじゃない?ってところも多々あるけれど、それはそれで素敵だと思う。
ちなみに一番印象に残ったのは、フランスから嫁いだ幼いアニェス妃の運命。「ふたつの祖国を喪ったとしても、彼女は幸せな晩年を過ごしたであろうと、私は思いたい」。
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読み終えてから著者履歴をみて初めて気がついたけれど、この方の本『生き残った帝国 ビザンティン』は、中学か高校の時に購入して読んだ覚えがある(当時は新書版だったが、今は再版されていないかもしれない)。
僕は中高六年間、まじめに夏休みの宿題を完結させたことがなかった。そのツジツマあわせでレポートを書いたりしていたのだけど、いつしかのネタが旧ユーゴ情勢についてだった。そのための基礎知識として東ローマ史が知りたいなーとか思って。宿題するより、そういう方が好きだった。もう一度読んでみようかなーとか思う。
東ローマ史に興味を持ったヒトは、『生き残った帝国』か、小説だけど『コンスタンティノープルの陥落』あたりから読むといいかもしれない。冒頭にとても駆け足なビザンティン史があるし、内容も面白い。
ギボンとかも読んでみたいと思ったかも。
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経済学の歴史っぽくない経済学の歴史の本
- 2010-05-02 (日)
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根井先生の本だから買った。考え方には必ずしも同調しないけれど、まぁ、なんというか放っておけない感じで毎回買っている。別に、印税を先生の健康維持の足しにして欲しいというわけではないんだけれどw
プロローグを読んだときは、正直かんなりがっかりした。買って損をしたとさえ思った。カンティヨンを知ってしまえば、ケネーは過大評価過ぎると思っても仕方ない。でも、それは単なる早とちりで、以降の章は結構面白い。数式も多少出てくるけど、そんなに難しくはない。むしろ、いくつかの議論に関しては、数式の方がわかりやすい。
- 第1章 経済循環の発見
- 第2章 価値と分配の理論
- 第3章 ケインズ革命
- 第4章 多様なケインジアン
- 第5章 制度主義の展開
章立てのどおり、ケインズや非主流派経済学に重心がよりすぎている嫌いはあるけれど、テーマ別、しかも、主流派経済学が取り扱わないテーマにそった展開なのだから、それはそれでいいと思う。
ハロッドに関しては発見だった。スラッファについては、思想地図での"位置"を確定してもらった感じ。でも、本書ではよくわからなかったので、他にも読む必要があるだろう。あと付け加えるならば、補説がいい出来なんじゃないかと思う。買ってよかったと思った。
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わが友ナナミばあさん
すでに持っているのだけど、新潮文庫から3分冊で出たので改めて購入した。中学時代からなんども読んでいたので、いい加減ボロくもなっていた。ナナミばあさんの充実した老後の足しになれば、これ以上の喜びはない。
初めてナナミばあさんの小説を読んだのは、弟1号の誕生日プレゼントに『コンスタンティノープルの陥落』を買ってやった時だった。興味はあったけど、愛読する著者を増やすことには過度に慎重だった僕は、弟に買い与えて反応を見ようと思ったのだ。結局、弟1号はあんまり読まなかったみたいだけど、それでは、と読み始めた僕がハマってしまったのだから困ってしまう。ミイラを取らせるつもりが、自分がミイラ取りになって、ミイラになってしまったのだ。
ナナミばあさんの文体は、僕から言わせてもらえば、あまりイケてないと思う。固いし、回りくどいし、なにより入れ込みすぎだと思う。だけど、どの題材も魅力的て、ヴィヴィッドだ。本人が対称を"愛してしまっている"のだから、仕方ない。
だいたい高校の一時期、外交官になりたいなぁ…だなんて思ってしまったのも、ほとんどすべてばあさんのせいだ。イキってキッシンジャーの『外交』を読んでみたり、みんなが日本史を選択するところをわざわざ世界史を選んでみたり、教養を身につけねばなるまいと読み慣れぬ哲学書を手にとったりもしてしまった。それぐらい、マキァヴェッリにしろヴェネツィアの男たちにしろ、外交の場に立つ彼らは格好良かったのだ。いつかそんな知性豊富で、運命と戦う力量を持つ人間になりたいと願ったものだ。
しかし、それもこれも昔の話。京都でゴロゴロする日々、東京でキリキリする日々の中で、そんなことも忘れてしまった。それでも、なんとなく忘れられないのは善く生きることってなんだろう、ドコを変えてナニを守るのだろう、運命にうちかつにはどうすればいいのだろう、皆にとって理想的な組織ってなんだろうといった、ばあさんの本を読む上でふと思ったことだった。
それだけは、いつも結構真面目。学生のころに本流から外れて組織の経済学や進化経済学を学んだのだって、今になって共和主義について興味をもつのだってそれの延長線なのだ。今回、この本をもう一度手にとって、それが分かった気がする。
僕は、ばあさんは僕が言う意味で共和主義者だと思う。ばあさんの用語では"真の保守"に当たるのかな。なんせ『サイレント・マイノリティ』だって読んだのは15年前だw
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贅沢はよいことなのか?
- 2010-04-23 (金)
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まだ読んでいる最中なのだけど。
本書は18世紀フランスの経済学を、おもに「奢侈論争」の視点からまとめている。「奢侈論争」ってのは平たくいうと、"贅沢っていいことなの?"という論議だ。「なんだそんなことを」と思う人もいるかも知れないけれど、これは実は根の深い話題だ。
- 奢侈の基礎である"富"とは何か? → 貨幣理論、価値の理論(労働価値説)
- "富"は"徳"(規範、道徳)を破壊するか? → 共和主義(本書の守備外)
- 消費すべきか、貯蓄すべきか? → 経済循環、投資、有効需要の概念
そもそも、なぜ「奢侈論争」などというのが巻き起こったのか。
ココからは、個人的に思ったこと。18世紀までの「商業」は"組織と組織の間(大きな社会)"を繋ぐ活動だった。一方、"組織そのもの(小さな社会)"の「統治」を受け持つのは封建主義と宗教だった。中世の商人は体制に守られない異邦人で、ジプシーだったりユダヤ人だったりした(と思う)。しかし、「商業」が肥大化するに連れ、「統治」を突き崩してしまう場面が増えてくる[1] 。そうなると、自由を求める商業サイドと、秩序を重んじる統治サイドとの軋轢が起こる。欲求の承認か、秩序の維持か。
「奢侈論争」のひとつの成果は、"ひとびとは相互に依存している"という需要と供給の循環的な関係「経済」の発見だった。そして、それは案外精密な仕組みで、「自由」にしていてもうまく運用される、むしろ自由にした方が「自然[2] 」にかなっているという発見だった。経済の秩序は物理法則のようなもので、封建権力が何かして変えられるものではない。
また、もうひとつの成果としては、議論の派生として得られた貨幣理論・価値理論の進展、消費と投資・有効需要・効用価値説の概念の萌芽なども挙げられそうだ。こうしたことは僕らにも無関係ではなくて、たとえば"累進課税"と平等への取り組みなどもこの延長線上にある。
あんまり本書自体の感想にはなっていないけれど、この本にはいろんな発見があって面白かった。Twitter での独り言でも見返しながら、おいおい勉強していこうかなって思う。
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で、贅沢っていいことなの?
18世紀の段階では「基本的にいいこと」だが、その基準・限度については決着がつかなかったかもしれない。お金の使い方には投資と消費の2種類があって、投資の水準が拡大再生産・縮小再生産を決める、だから投資(≒貯蓄)を損なわない限りの奢侈(≒消費)は問題がない、と明確に言ったのは、A.スミスってことになる(のかな?)。ただ、それに近いことをいっていた人は、18世紀フランスにも多かった。
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ペティー、カンティロン、ケネー。
- 2010-04-08 (木)
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最初はマル経用語に戸惑うかもしれない。でも、いろいろと得るところはあった。僕は付箋とかは使わず、すぐにページを折ってしまうくせがあるのだけれど、この本は折り目だらけになってしまって困った。
一番はやっぱり、ケネーの「原表」がカンティロンの経済観を引き継いでるというところ。あれって昔も読んだけれど、正直チンプンカンプンだった。けれど、そういう視点で見れば、スッキリ理解できるとおもう。ただ、これ以上ケネーに寄り道する気もないのだけれど。
個人的に思うのだが、経済学というのは時代時代のフィギュアを作るに等しい。多少デフォルメしながらも、パッと見はそれらしく見えるような、時代の模型を作る。つまり、古い経済学は古い時代をコピーしていて、新しい経済学は新しい時代をコピーしている。そして、古い時代が新しい時代に塗り替えられるように、古い経済学は新しい経済学にとって代わられる。
だけど、古い時代は、まったく新しい時代へごっそり入れ替えられるわけではない。確かにプレゼンスは失ってしまったけれど、失われることなくどこかで息づいている。地主の時代は終わっても、世に地主が死に絶えることがないように。
故に、古い経済学が間違っていると指摘するのは有用でも、間違っていると否定するのは決して有用ではない。土地価値説、労働価値説は間違っているのだろうか? 一般的に適応できないという点では、正しくはない。けれど、いろんな価値基準の一つとしては、未だに通用している部分がある。終わっているけれど、死に絶えてはいない。
近代経済学は"価値"について語るのをやめ、"価格"だけを論ずることにした。それはそれで実り多かったけれど、それゆえに失ったモノも大きいかなぁと思う。本書が俎上に載せているのは、まだナイーブだった頃の経済学だ。
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モノのなかには"価値"があらかじめ内包されていて、それが交換過程において引き出されるというのは、なんかプラトンとかアリストテレスチックだと思う。イデアとかエイドスとか。
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W.ペティ の経済学
- 2010-03-29 (月)
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最近は、家や会社に本をよく忘れるので、いろんな本を中途半端に読み散らかしている。3日ぶりに読んだ本は、その章の初めから読んだりしているので全然進まなかったり。でも、まぁ、いいや。
本書はまだ読中で、やっとこさ、本命のカンティヨンの部分に入ったところ。でも、とりあえずW・ペティーの部分だけは読み終わったわけで、読み終えるまでに一度まとめておいてもいいかもしれない。
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菊と刀、および電車の中で突然女の子に抱きつかれた件について
なんつーか、私はヘタレですね。
今日、会社の帰りしな、電車でヘッドフォンしながら本を読んでいた。すると、とある駅、「すみません、すみません」と息を切らして女の子が飛び乗ってきた。混雑する社内をそのままスルスルと奥の方へ移動し、ちょうど僕の後ろで立ち止まったようだ。このとき、僕はあまり彼女のことを気にかけてはいなかった。
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戦争の経済学
- 2010-03-15 (月)
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入門的なミクロ・マクロ経済学を用いて「戦争」という人類の営みを分析。分析とはいえ、そんなに大仰なものではなく、データとモデルを提示して整合的に説明するという類のモノ。もともと教養課程かなにかの教科書として書かれたようで、「戦争」という誰しも興味をひかれる話題を餌に、初歩的な需給理論からゲーム理論まで、幅広く経済学を講じてある。この春、経済学部に受かったけれど入学式までぼーっとしている、といった学生におすすめかな?w
個人的には、随所に盛り込まれたデータとグラフが有用だった。また、「ケニアではAK-47はウシ2頭で買える」といったウンチクが楽しかった。まぁ、楽しいというのも不謹慎ではあるけど。
全体的な流れで言えば、グローバル化の進展、経済の相互依存性の増大により、相手から何かを奪う「国際戦争」は減ってきた。第二次大戦以前は戦争で勝った側が敗けた側から領地や賠償金をせしめるのが常識だったが、それが今では打ち負かした側が敗戦国に援助して国を立て直して上げている始末で、もはや"収奪事業"としての戦争は主流ではなくなってきた。
ただし、それも経済的に高度で、密接に相互な繋がりのある先進国においてのこと。
グローバルな経済で十分なプレゼンスを示せない発展途上国は先進国の手先として"代理戦争"を行うこともあるし、突発的な経済変動に耐えられず絶望的な戦争に突入することもあるし、貧困と格差に苦しむ国では不毛な内戦が耐えない。事実、昨今の「国際戦争」は発展途上国が舞台であるし、「内戦」は第二次世界大戦以降激増している。そして、やはり9・11に代表される「テロ」。持てる者が持たざる者から収奪する戦争から、持たざる者が持てる者の足を掬おうとするテロへ、とでも表現すべきか。
だとするならば、テロリズムの支持母体である貧困・格差・社会的インフラの欠如・低レベルな経済をどーにかするのが最も手っ取り早いのだろう。"将を射るならばまずその馬を射よ"といいますからね。そう考えるなら、日本にも結構出来ることがあるかもしれない。
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第7章「テロリズム」の記述は納得がいかないし、本書の目的ではないとはいえ、列強が好き勝手に国境線を引いた罪に関しては華麗にスルーされている…という感想も書き添えておく。
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戦後世界経済史―自由と平等の視点から
- 2010-03-11 (木)
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なんとなく買った本だけど、これもアタリ。
20世紀の経済史をザラッと見直そうぜ!という本なんだけど、単にそれにとどまらず、ちゃんと問題意識をもって、最近の研究を援用しながら解説されているのがとてもいいと思った。一応通読したけど、復習がてら前書きに挙がっている著者の"5つの論点"を振り返ってみる。
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ナビゲート!日本経済
- 2010-03-04 (木)
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たまたま読む本がなかったので買った。その割にはいい本だったのではないかな。要所要所でデータが提示されるので説得力はあるし、理論的にもいい意味で穏健だと思う。
ただ、景気変動を「トレンドとサイクル」に分けて分析しろという主張(あまり突飛な主張でもない)を聞くといつも思うのだけど、それは過去に対しては可能でも、未来に対してはあまりにも難しいと思う。仮に今景気が上向いているとして、それはトレンド?サイクル?
ある程度は在庫投資の変動などを勘案して推定できるのかもしれないけれど、常に実体経済の構造は変わっているわけで、どこまでの精度で見分けられるのか。外需(種火)と内需(着火)に代表される景気サイクルのプロセスを認識するのはそれでいいとして、内需ってどうやって拡大するんだろう。結局、卵か鶏かではないのかなぁ…(筆者はどちらかというと「先に鶏の肉を少し食べさせてもらおうぜ」派なのかな)
学生の頃、クズネッツの理論とか習った覚えがあるけど、景気変動論にはいつも疑問だった。あとから見れば波に見えても、その波の要因になにか共通性はあるのだろうか。20年たてば世の中なんて様変わりして、ポケベルがケータイに、ケータイがiPhoneになるのに。これはいつかちゃんと勉強しようと思う。
あと、最後の方でいきなり"専門職の軽視と「文化大革命」"みたいな節があるなど、唐突に筆者のキモチが表に出る部分があって面食らったりもした。経済理論とそのキモチの間の論理を知りたいのだけど、そこは少し薄いかもしれない。加えていうなら、参考文献に出てくるのが著者の論文ばかりというのも気になった。
…と、少し疑いモードで読んだのだけど、色々気付かされる部分も多かったし、「ナビゲート」の役割は十全に果たした本だと思う。
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